図右衝撃の2.3万年前の米国ニューメキシコの少年・こどもの足跡、また、 図下 蔵入りの米ハーヴァード医科大の遠隔DNA類縁の謎は、「最初のアメリカ人」に関して依然として持ち越しです。

しかし、これらの問題解明の参考となる痕跡を探すなら、南米の進入第1波の子孫である女性人骨の「ルチア」、そして日本列島の石垣島祖人と石器時代的な暮らしを残していた北千島の遊動海民である留頓コロボックルは、注目されるべきです。実は欧米学者は依然としてシベリア・ハンター説が主流ですが、上記2問題ヘの適用となると明らかに疑問があります。むしろ、西太平洋沿岸種族の北上説にムリがありません。それは、欧米から2022総括の謎解き説明が出て来ていない事にも表れています。これまで余り目が向けられていなかった南米、日本に注目すべきなのです。石垣島祖人を、新旧(アフリカ的)のルチア復元像と並べると中を取り持つような感じです。

2022年は、ロシアのウクライナに対する侵略、コロナの猛威や近隣のアブナイ軍事威圧、ウィグル民族に対する人権侵害の公開、北海道百年記念塔解体などの暗い話題の中、サッカーのワールドカップで大盛り上がり。

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優勝アルゼンチン・メッシ、活躍のブラジル・ネイマールが、図右昨年9月の米足跡(2.3-2.1万年前、ニューメキシコWhiteSanda)によって熱い論議中の世界人類史の謎「最初のアメリカ人」問題で、進入第1波系ブラジル「ルチア」に光!答えはホントにシベリア・ハンターなのか? 他方、北海道遠軽町の白滝祖代遺跡群の国宝指定答申、帯広での1.5万年前黒耀石の大量発見は、ゲートウェイの道東祖人Proto-Japanese北上論を後押し、ワールドカップ日本チームの活躍も相まって、それらは図中北千島の石器人痕跡を残す遊動海民である「留頓ルートン」コロボックル( アイヌ伝承。 鳥居龍蔵が明治32年の現地調査結果に対する学界・世間の誤解認識を大正6年に訂正し、余程古い第1アイヌと指摘)に温故知新の光!速やかに北千島・後の色丹における留頓痕跡を示す北海道大学・馬場コレクション等を公開し、生徒・学生に、世界に発信を。日本参加の国際共同研究の促進を。

2022年は、大盛り上がりのサッカーワールドカップ、アルゼンチン・メッシの優勝でしたが、人類史の方は、昨年9月末発見の2.3-2.1万年前の米ニューメキシコWhite Sandsの足跡は「誰?」、が依然論議中で年越しです。

しかし、衝撃の古さのニューメキシコ足跡を踏まえて考えてみれば、あの南米女性人骨Luziaは、渡米第1波に繋がる重要なもので注目されます。問題は、彼女は欧米学界の言うシベリア・ハンターの子孫の顔だろうかという事で、ポリネシアやアフリカ系の声も上がり、沖縄・石垣島祖人Proto-Japaneseの方がシベリア系より近いのではと思えます。メッシやネイマールは、祖代史にも関わる重要な事に光を当てたような2022年です。

 子供に大切なのは、国柄の歴史認識というケーキ。今、世界史界が注目する北海道史、北千島の留頓ルートンの生業痕跡である北海道大学・馬場コレクション等の貴重な資料を世界に、生徒・学生に開放を!

北海道史2022 左図 白滝遺跡が国宝に、帯広で黒耀石(1.5万年前)がざくざく! 道東ゲートウェイへの北上は、仙台系か、北陸系か、青森で合体の陸奥系か。「最初のアメリカ人」問題で、優勝アルゼンチンの南米先住民DNAに注目。関連で、右図 北千島の留頓・ルートンにも注目が。#百年記念塔歴史を学ぼう守ろう

注目の道東ゲートウェイ関連では、白滝遺跡群が国宝指定答申され、帯広1.5万年前遺跡で黒耀石がたくさん発見されました。

右図人類史では、最後の謎であるアメリカ新大陸に「誰が、いつ、どのように」について依然論議中ですが、サッカーでアルゼンチン・メッシの優勝やブラジル・ネイマールの活躍で、進入第1波南米先住民の遺跡・DNAの解明が重要であることを改めて気づかされました。これに北海道祖人が進入関わり候補であることから、左図、注目の道東ゲートウェイへ「誰が、どこから」が問題となります。約4万年前に北部九州に渡海し、拡がった状況から道東へは、①仙台系(当時は氷河期で海獣がいたので北海道の暮らしの予行が出来ていた)か、②北陸系(帯広遺跡と似ていると言う研究者が)か、青森で融合した後の③陸奥系かとなり、実は今は目立たないですが大間ルートは有り得ました。いずれにしても、世界では最初の航海の痕跡として、オーストラリアへはどのルートで行ったのか問題にされ、諸条件を分析したところそれまでの南ルートではなく北ルートであると言う論文が出ました。その後、いや、やはり南ルートだと言う意見も出ているようです。いずれにしても、日本の教室は、日本始まり時代のこのような問題について全く論じていないのは、学問的にも教育的にも周回遅れです。それによって、新たな捜索が行われたり、日陰であった痕跡に光が当たったりしますし、世界の南米問題にもかなりの蓄積があります。生徒・学生に教え、将来の解明を期待すべきです。

図左、昨年発表の米ニューメキシコの足跡衝撃で、論議継続です。アジア南方北上ルートの日本では、北海道遠軽町・白滝遺跡群の「国宝」指定答申があり、帯広では大量の黒耀石(15,000年前、道東産)が発掘される素晴らしいニュースでした。

北海道祖人(Sojin、Proto-Japanese、列島初代で縄文人Jomonの先代)は、最初のアメリカ人問題の参加候補であり、図の赤点線のようにシベリア・ハンターの一辺倒説は揺らいでいます。他方、世界中が湧いたサッカー・ワールドカップ、優勝の南米アルゼンチン・メッシ、活躍のブラジル・ネイマールですが、実はそれら地域(中の特に陸の孤島的)の先住民のDNA分析にも光が当たり、北米の中・東部には見られない母系ミトコンドリアの古いハプログループDが残る進入第1波で、進入の3波説やルートAorBと共にDNA面から日本とも関わりがありそうなコト(縄文人mt-D11%、進入参加候補の祖人との連続性ー東邦大学等令和3年6月)が注目なのです。来年2023年は、引き続きこれら課題の解明、諸説論議の活発化が期待され予想もされる状況です。我が国も積極的に参加し、国際共同研究を推進すべきです。 #百年記念塔、先人歴史を学ぼう守ろう!

日本に多いDNA母系のmt-Dが北・中米で見つからないため、最初のアメリカ人論議で日本人が、mt-Dが軽視されているのは大きな問題です。

南米への人類・最初のアメリカ人の移住は、豪州でもグリーンランドでもアフリカから直接でもなく、北米・中米からの南下(現代考古学の認識)です。図右、南米の希望の大地(藤井正夫)とも言われる陸の孤島的な南端パタゴニアに古いミトコンドリアD型が日本と同じように多く発見されていますが、南下して来た途中の北・中米には殆ど残存していません。他型が充満している所(北・中米)を、mt-Dが後から来てすり抜けて、あるいは南米で突然急激に拡がったとは考えられませんから北・中米では、居たけれども①一緒の仲間の中で、又は②後から来たmt-Dをあまり・全く含まない第2波に押されて消えて行ったなどが考えられ、mt-Dは「最初に」南米まで拡がった第1波であり、残存地を見れば陸の孤島的なためであったと考えられる事は、ユーラシア大陸に近い島国の日本と置かれた共通性があるのです。このことは重要で、後続の第2波、エスキモー・アレウトの第3波などの「最初のアメリカ人」構成の仮説に光を与えます。

そして日本列島の要素に注目すれば、印アンダマン諸島―南米のアンデス・パタゴニア・アマゾンという太平洋を隔てた①遠DNAの関係性が 痕跡の DNA分析から実証的に導かれ、人類史の謎である最初のアメリカ人の②時代を異にする3波の進入、アメリンド大語族などの3語圏という大区分の新・復活の仮説がムリなく理解できる事が重要 (北米大氷床の進入ルートがユーコン川沿いか北太平洋沿岸かは、熱い論議中) なのです。この流れの中の痕跡として、鳥居龍蔵が深く研究した北千島のコロボックル、遊動海民の留頓・ルートンは注目で、環境が似ているからと言えばそれまでですが、南米パタゴニアやペルー沿岸民(ミイラ人骨からの分析:篠田謙一 )の海獣を含む沿海食との共通性が民俗調査などで明らかになっています。 人類史におけるmt-D が、北・中米で 見つからない事こそが重要、これはミステリーを解く一つの原則ですから、生徒・学生に教え、世界に発信、国際共同研究で更なる深化を。 南米、北海道・千島への人類史探求の光ですが、この事は、日本人祖先の研究に関わりが大きいモノです。 始まりを理解せずして、その後の研究理解はアリエマセンので。

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図A南極から2千kmの南米南端へ来たマゼラン一行が毛布を使う寒さなのに、フェゴ島のヤーガン族が半裸・肩ショールなのにびっくり。どこから?誰?と今も謎の先住部族ですが、伝統の籠や銛・もり、マゼランたちが注目した焚火などは、縄文Jomonを思わせるモノです。

図B北千島人「ルートン」は、明治32年に現地調査した鳥居龍蔵が、本道第2アイヌより余程古い石器時代的な要素を留める遊動海民(流木で造られた舟で広域を行動)の暮らしだと紹介しました。調査直後の重要なコロボックル論争で否定的事象を報告しましたが、実は、よく検討すれば否定されたコロボックル(恩師である坪井東京帝大教授のコロボックル)説が正しいと発表(大正6年、認識訂正)していますが、今の学界は最初の否定報告を引きずったままのような無視で問題です。ルートンは、広域の北の海で行動し、かつてはカムチャッカ半島にも拡がっていて、カムチャダールの進出に伴い押されて後退したものとみられ、北海道祖人―縄文人の子孫である事と共に、北上していた痕跡と考えられますので重要です。図Cは、Harvard医科大のDNA調査で発見されたアマゾン古部族とアンダマン種族・豪アボリジニの不思議な類縁で、何故かは今もって説明されていません。実は北米と南米は、言語学的には先住の万年の大昔から共通性が指摘されていますので、ヤーガン族や高地アンデス、アマゾン奥地の研究などは痕跡探しに重要です。昨年の米ニューメキシコWhite Sandsにおける2.3万年前の足跡発見報告で、これまで多少の欠陥が指摘されたり謎だとして放置されている説や問題に光が当たって来ており、広い範囲の総合的な国際研究が求められている時代なのです。

日本人の祖先に関わる問題でもあり、始まりの理解なくしてその後の正しい歴史の認識には至り得ませんから、生徒・学生に教え、国際研究に学界が積極的に関わるべき課題なのです。

図左①花粉分析で万年前の気温変動に迫った模式図は、山の寒冷緩和期に緯度を北上して北部九州に渡海したことが納得でき、米国ニューメキシコWhite Sands(WS)における2.3万年前の足跡も#1氷床通過期にA、Bいずれにしろ南下して行ったとして新説を理解できます(但し、山・谷の時代も気温の変動はかなりありました)。

とすれば問題は、最寒期LGMに氷床通過ができない、#2通過期までの数千年間「鍵がかかった」状況であり、#1通過の人々は南北新大陸に拡がり君臨していたことになります。このことは重要で、半世紀以上前の南北アメリカの言語が類似というアメリンド大語族説に光を当て、言語学的に処々誤りがあるとして今では打ち捨てられていますが、ポイントを突いています。これもまた余り注目されていませんが、軌を一にする松本博士の環太平洋語族論にも光です。そして、DNAや考古学的な分析からの最初のアメリカ人の新南下説を、全く独立的にかつて研究した言語論が、新説を支持しているとも言えるのです。更に新説は、新大陸人のDNAの特色を説明しうるものかもしれません。②豊かな日本列島「祖人Sojin」Proto-Japaneseの北上史について、よく認識されていないのか、否定理由もなく北上の継続が採り挙げられません。約4万年前の渡海の民であり伊豆の海を行き来していた海民ですから、充実した基盤の北海道から次々に島が見えた食豊かな千島列島は、遺跡こそ見つかっていませんが北上できたでしょう。北千島の遊動海民のルートンは、現代までその痕跡を示しています。

このことは、③何故、アンダマン諸島人、パプアニューギニア人・豪アボリジニ(90km以上を渡海した民)とアマゾン古部族のDNAが類縁なのかを考える際に重要です。疑問がわくシベリアルート説が主流の欧米学者は、この問題も説明できず言及しません。近年の日本の研究(太田・覚張)で、アンダマン諸島人―ラオス人―北京近郊・田園洞人(河川食)―愛知・伊川津の縄文人のDNAに類縁性がみられ、この事は伊川津から地理的に近く繋がる静岡・浜北祖人、時代を遡って3.8万年前の伊豆祖人や長野祖人などへの繋がりを認識させ、北上した3.5万年前後の北海道祖人へと導くのです。新人の北米氷床通過の問題は、実は南米の状況をも説明できるものでなければなりません。今やアメリンド大語族、インド・アンダマンとブラジル・アマゾンなども視野に「最初のアメリカ人」問題を語られねばなりません(シベリア中部での発掘進展による拡がり史観もあるようですが)。生徒・学生に教え、世界にもっと日本の状況(1万件超え旧石器遺跡)を発信し、国際共同研究を推進すべきです。

図左シベリアからか、アムールからか、道東からか、ベリンジアにおけるそれらの複数の混合か?(元日本言語学会長・松本克己・言語学的には、対象は環太平洋系のアムール、道東)。また、米新大陸の大氷床通過は、ユーコン川沿いAからか、アラスカ湾沿岸Bからか。2022年、DNA分析と遺跡・遺物の分析で未だ解明・合意のレベルには至っていません。

ニューメキシコの2.3万年前の足跡は誰で、どのように、はDNA分析・考古学で解明と合意に至っておりません。ルート論は、その移住時期区分が重要で、新旧を混在させると誤解を招きます。ここで道東は、3.8万年前の本州遺物等、北海道拡がりは3.5万年前後で3万年以前の帯広「若葉の森」遺跡などから、はっきり候補です。次に図中の模式図によれば、最終の氷河期でしたが、寒気が和らいだ時期―山、厳しかった時期―谷(最低は最寒期LGM)があり、その山と谷の時代でも気温が変動していたことが特色です。山の時代に北上してきて北部九州に家族で渡海し、祖人Sojinが拡がったのが列島史の始まりで、次代縄文人へと続きます。「最初のアメリカ人」は最寒期LGMをはさんで2回の通過が考えられ、これまでは#2通過が始まりとされていますが、2.3万年前のニューメキシコ足跡問題については最初の#1通過説となり 、(登場していない)“Jomon”ではなく祖人が、また、ユーコン川沿いが浮上し地域の古い遺跡に光が当たり、最寒期前の氷床融けの回廊開放説が登場しています。そして、この足跡人が現在のアメリカ先住民に繋がるのかどうかも課題です。

問題は現在まで、ベリンジア地域において1.5万年以前の遺跡・遺物が発見されていないブラック・ボックスとなっており、また、最寒期以前の人骨データも乏しいことで、これまでの#2通過説者も依然存在しています。そこで関連情報ですが、図右、1946年でも北極は大きく、周辺の氷の状況と厳しい寒気が分かりますが、環境適応の北極圏のエスキモーの移住はずっと後の図中の新石器時代の#3進入です。気温が変動していた最寒期以前の寒冷緩和期はどうだったのか、また、メキシコ暖流やエルニーニョの影響などでは海辺の方が緩和され、考察に関わりがある諸要因でしょう。そもそもの問題設定(2.3万年前の足跡)への合意を含め、年代較正を適切にして時期認識を一致し、諸説を踏まえた実証の探求へという時代であり、日本人の始まり祖先の解明に関わる重要な課題なのです。生徒・学生に紹介を。岡山国際シンポジウムに続く、更なる国際共同研究の推進を。


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世界で今話題のネアンデルタール・デニソワ旧人ではなく、10万年前頃の出アフリカの新人が祖先であり、”Jomon”ではなく祖人Proto-Japaneseです。

北部九州から始まった①列島の北上(南西諸島へ南下)史であり、②図左下DNAは南方類縁性(Oota,Gakuhari)があり、③家族が約35kmを渡海し、3.8万年前に伊豆の海を黒耀石採取の生業で行き来して広域で交易、また、長野高地で発見の石器群や1m級の陥し穴多数で社会性ある猟をしていたことなどは、原始人ではアリマセン。➃北海道へは青森から狭かった津軽海峡を越え、巷間の「マンモス・ハンターが北から来た」は誤解です。最古遺跡・3万年前が帯広で発見され、今回、国内最大の黒耀石原産地である遠軽町・白滝遺跡群(2.7万年前~)が国宝指定の答申です。

図右上のDNA分析から、印アンダマン諸島、ラオス、北京近郊の田園洞などと愛知・伊川津貝塚の縄文人の古さを示す遺伝子に親和性がある南方系で、約4万年前に図左曙海の畔から渡海して来ました。

多様多島の沿岸で海・川辺の動植物を食す暮らしを経て、祖人Proto-Japaneseは、家族で約35kmを渡海したフネの造・操舟力の認知性を有し、右下伊豆の海で3.8万年前から黒耀石を求めて舟で行き来し広域で交易、鉄器の無い時代に1m級・169基の陥し穴を構築した社会性などを示し、最新発掘の長野香坂山遺跡では既に多様な石器群を有しており、原始人ではありませんでした。太平洋側と大雪の降らなかった日本海側の両方から北上して狭かった津軽海峡を越え、3.5万年前後には北海道に適応しました。道内発見最古の帯広を越えて北上した 遠軽町白滝の遺跡群(2.7万年前~、 黒耀石の大原産地)が、この度国宝指定となります。        

速報 祝 北海道・白滝遺跡群の国宝指定(図右)

始まりの約4万年前、北部九州への家族の渡海(約35km)を可能にしたフネ造り、外洋の気象・潮流などを理解しフネを操作した祖人Proto-Japaneseが、原始人ではなかった認知力を示した生業の痕跡を国宝に! 図中、世界考古学の金メダル、伊豆の海25km以上を良質の黒耀石採取に舟で行き来(3.8万年前~)した恩馳黒耀石の遺跡、図左、最古の鹿児島・立切の陥し穴猟の遺跡(3.5万年前)では、直径1mほどで上部がラッパ状に開く形をし、深さも1mほどで底が丸い形をした穴を鉄器の無い時代に集団作業の社会性を示して12基作っています。同様に図中の三島・初音ケ原では169基もの規模で、2.7万年前に作っており作業の社会性に感心します。 

日本列島人のDNAも、1万件を超える旧石器遺跡の石器も、始まりの祖人Proto-Japaneseは南方系であることを示しており、それは「出アフリカ」から南方を経た北上です。

図左DNAは、愛知伊川津の縄文人が、ラオスやアンダマン諸島人と類縁であり、4万年前に川の産物を食していた北京近郊の田園洞人ともであって、北ルートではありません。そして、北の混血を含めてアメリカ先住民に繋がっています。昨年、米国New Mexicoで2.3万年前の足跡発見の発表で、それは誰かが問題となり、内陸の無氷回廊が開かれる前ですので、北太平洋沿岸からフネで入って来たという事が、米大陸の遺跡やDNA分析から新定説化しています。それは誰だったのかということで、日本列島ルートも補強された新仮説です。中図の石器の分析から北上(沖縄への南下)が年代の経過を伴って明らかであり、沿岸から中央部長野の高地に至るまで、1万年以上の熟成を示し、伊豆の海における行き来、環状キャンプや陥とし穴猟の痕跡などと共に暮らしの「原層」と認識(次代の縄文時代を合わせ基層)すべきものです。右図、誤解のあるマンモスハンターは来ず、青森から北上し3.5万年前には北海道に拡がり、北海道に留まる理由もなく食の豊かな処女地である北へ、更に北上を継続したことでしょう。特に道東(先頃、帯広で1.5万年前の大量の黒耀石の生活痕跡発見)は、先のアメリカ先住民との関わりのゲートウェイとして注目されます。

なお、世界に誤解のある鎌倉時代からのアイヌは、始まり人類移住史には登場しません。これらの事を生徒・学生に教え、世界に発信、日本が祖代解明のためにも国際共同研究を主導し、先ずは諸状況から理論的に、「最初のアメリカ人」関わり問題の解明を図るべきです。

北海道史は、①青森から、当時は海水面の数十m低下で狭くなっていた津軽海峡を越えて3.5万年前後に適応し、祖人が拡がりました。巷間みられる北からのマンモスハンター進入話は考古学痕跡のない誤解です。礼文島縄文女性も北海道の犬も、そして文化の重要一面である住居も南方系であることの認識が重要です。

②約4万年前に北上した新人が北部九州に家族で約35kmを渡海し、祖人Proto-Japaneseは、太平洋正面と大雪の無かった日本海の両正面から北上、また、海を越え沖縄に南下しました。この造舟・外洋操舟等の認知力は、もはや原始人ではアリマセン。③3.8年前には、実は陸地が増えていてフネを浜辺で曳行できた伊豆の海25kmの行き来は謎(朝日新聞)ではなく、神津・恩馳島の良質の黒耀石の採取に活躍(縄文時代には河津に工房も)しました。広い地域に(長野にまで)いきわたった交易の社会性も注目されます。近年、3.7万年前には長野の高地に多様な石器群を残していたことが発見され、祖人の水平・垂直の拡がりが注目されます。➃先日帯広で、1.5万年前の大量の黒耀石の生活痕跡を発見のニュースです。始まりの祖人から長い歴史を有する北海道を「白抜き」にするのは、世界に大誤解を与えるもので、早急に訂正が必要です。

さて、①今、世界人類史界は、「最初のアメリカ人First Americans」が、北太平洋沿岸からフネで入って来たというのが新定説化しており、候補である日本列島ルート、昆布ハイウェイの北千島の失われた海民・留頓ルートン族(アイヌではない)が注目なのです。子供・学生に教え、世界に発信、国際共同研究を主導すべきです。

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