北海道礼文島・船泊縄文人DNAとの古さの近縁は、始まりの北部九州からの日本海ルートにしろ、太平洋(瀬戸内)側―道東ルートの北上にしろ、祖代から縄文時代への祖人の2万年の列島拡がりを考えれば、有りうべきことではあります。そして、礼文島縄文人が東南アジア・南方系であることが万年保たれたものであることも巷間の誤解を解く重要なものです。更に図右乙、近年の発掘で多数(20)の人骨が発見された27000年前の石垣島祖人(Proto-Japanese Ishigakijima)は、海民特有の外耳道骨腫の痕跡があり、母系ミトコンドリアB4eが確認されており、現代日本人に繋がるのみならず、前々回説明のアメリカ南西部の先住民ピマ族と希少類縁(英オックスフォード大 Stephen Oppenheimer)である事も驚きで、「最初のアメリカ人」問題で注目されます。これらのことは現生人類移住史における日本列島北上ル―ト関わり説を支持するものと考えられます。子供に教え世界に発信、国際共同研究により世界人類史に貢献するのみならず日本人祖先の解明のために、人と予算を充当し更に深堀りすべきものです。
②日本始まりの約4万年前当時は海水面が数十m低下していたことは重要で、①図に反映し、育まれたスンダランド、両岸を北に進んだであろう「パンカル海」、そして台湾東岸か北東亜平野東岸を北上して時計回りに移住した「曙海」を認識することが重要です。一部に誤解がある台湾~沖縄~九州というルートは、始まり時代は慶良間ギャップがあって本島行きはムリであり、考古学的にもそう考えられています。日本祖人がアメリカに渡った可能性として、日本人特有の母系のミトコンドリアB4が、米アリゾナのピマ族で見つかっている希少な近縁で、注目(英Oxford大 Stephen Oppenheimer)されており、写真の種々の人々に痕跡が感じられます。人類移住史の最終段階のアメリカに関し、➃やはり母系で発見が少ないハプログループDが、アラスカ南部からメキシコ、エクアドル、チリ、南端まで、移住最古の太平洋岸ルート南下(カリフォルニアSanta Barbara自然博物館 John Johnson)の痕跡説が出ています。チャネル諸島のチュマシュ海民が暮らしを伝え、1.3万年前のアーリー・ウーマン海民人骨が発掘され、また、北のコロンビア川岸の0.93万年前のケネウィック・マンが、海獣・海産物を主に食していた海民性などが注目されます。