1図、現生人類史は出アフリカからの東進・北上(着色矢印)により、海辺・熱帯雨林暮らしなどで変化したA:南方インマレイドが、西方からの種族(B)も混じえて寒気・降雪・強風などに適応し大きく身体変化したC:モンゴロイドとなりました。

これを、ジンギスカンに心胆を激しく寒くされた欧州学者が、モンゴロイド旧、新という大雑把な区分で命名したのが誤解の元で分かり難くなっているのです。2図中央にモンゴロイドの特色ある人物一例図を出していますが、左側の日本における南方系の祖人から縄文人と異なることがよく分かります。問題は、今回アメリカ・ニューメキシコで発見され2.3万年前の子供などの足跡について、祖先は誰なのかです。一般人はもとより欧米学者も、「最初のアメリカ人」は内陸が大氷床に覆われていた時代なので北太平洋沿岸から「昆布ハイウェイ」を入って来た(沿岸進入説)と多くが考えていますが、それでは人はなるとシベリアの狩猟族と思っているようです。しかし、今アメリカ古人骨で復元されているのを見ると、9,500年前のテキサス州リアンダー・ウーマンもカリフォルニア州ロスアンゼルス女性も見て分かるように南方インマレイド北上系であり、その上の9,000年前で少し新しい、論議を呼んだケネウィックマン(ワシントン・オレゴン州境コロンビア川で発見)は、2つ図があり①南方系Aと②混在ACになっている大変に興味深いシロモノです。

この3人骨から導かれる結論は、2.3万年前足跡子供は、どれかと言えば石垣島人骨に近く、モンゴロイドではアリエナイ事が分かります。従って、発見に際しいつの時期のどんなシベリア狩猟族だったのか、そして何よりもゲートウェイ北海道の祖人Proto-Japanese Hokkaido(3.5~3万年前以降)が浮上し簡単な紹介が付記されねばなりませんでした。今後の注目点ですから。問題は、世界が不勉強なのではなく、学界が世界に祖代史、伊豆の海を行き来した子孫の北海道祖人について発信していない事なのです。

日本の祖代は大昔にしては十分に分かっている方(1万件を超える旧石器遺跡の分析から。近隣は数十件)なのにです。子供教え、世界に発信し、国際共同研究の主導を、です。

子供に内容充実の日本史始り祖代の年表(1万件を超える旧石器遺跡の分析による。例えば隣国は数十件)で教えましょう。よく分かっていないと、重要な始まり時代が「原始」として軽く流され放置されている巷間本等は、周回遅れの大問題です。

メキシコ(3万年前?)やアメリカ・ニューメキシコにおける2.3万年前の足跡発見で、最寒期にベーリング地峡からマンモスを追って無氷回廊から入って来た(従来の定説)のでないことははっきりです。人類展開移住史の最後の謎、「最初のアメリア人」は、北太平洋沿岸から、「誰が、いつ」について、今再検討で、北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoは、はっきり候補として浮上です。約4万年前に北部九州に渡海してから始まった日本列島祖代史、特に伊豆におけるフネでの行き来や交易、始まりの北海道祖代史は世界史的に注目なのです。従って、世界に発信する日本史の始まり祖史は、出アフリカから北部九州に至る前座と、北海道から昆布ハイウェイの北上を継続しベリンジア・アメリカ新大陸に至った「最初のアメリカ人」関りの可能性の末尾も付加しましょう。日本史の60%(最近知られるようになった宇宙の「ブラックマター」の如く)を占め、世界史において、今や日本文明(ハーバード大 Dr.ハンチントン教授)と呼ばれるようになったことの基盤(縄文時代と共に日本文化の基層)である重要性もです。世界史に貢献を、子供に教育を。国際共同研究の主導を。

巷間本・動画などが、「原始」扱いでサラッと流す祖史・祖代ですが、②どこから? ③伊豆の海における祖人の偉業、①人間理解の基本である環太平洋の言語の共通性という特色から、祖史・祖代 の理解が進んでいます。

一方で今、新し気な鳴り物入りのインド太平洋構想で欧米から艦隊がシナ海で行動し、環太平洋パートナーシップTPPには入りたい入れろ入れるなの協定交渉を巡って賑やかな騒ぎの時代です。 実は、万年前からの祖先の動きの温故知新なのです。そもそも物事は、始まりをよく知らずしてその後の何を語れるのか、です。(注:MPOR(Migration along Pacific Ocean Rim) 説とは、最初の現生人類が出アフリカ後に東進、東南アジアSundalandから北上し、米臨海のベリンジアを経て、アメリカ新大陸を南下して南米南端までの「沿岸」、昆布ハイウェイKelp Highwayにも着目する展開移住ルート説)

祖代・祖人Proto-Japaneseを論じてきました。米国の日系4世がハンバーガーを好み日本語はしゃべれず、星条旗のために闘う人ならば、彼はどんなに私たちと姿・形や何よりDNAが似ていても、日本人ではなくアメリカ人です。

①最近ややもするとDNAで全てが分かったかのように、類似性をその違いを殊更に強調する教授が居ますが傲慢な誤りです。巷間本なども分からないとして、「言葉」について語りませんが、元日本言語学会長の松本博士は、優れた研究で普通(せいぜい8000年前くらいまで) では辿れない コトの痕跡を捉えています。アメリカ教授は知らないでしょうが、例えば、私達が教室で苦労するRとL、図のA系であるアメリカ先住民も苦労するのです。この「環太平洋語族」という博士の認識をTPPで騒いでる人たちが分かっていない事も、予算を投じ日本がリードして研究・普及していない事なども問題です。そもそも日本語はどこからで口角泡を飛ばしていますが、②出アフりカ(言葉をしゃべっていた) から 東進、北上した人類史の歩みから、概ねの結論は図を見れば出ていて子供に教えればよいのです。

③3.8万年前に宝物の黒耀石を求めて伊豆の海を行き来し交易していた事実が何故重要かと言えば、造舟と操舟の能力、争いもなく宝物の広域の交易をしていたことは、当然、そんな大昔から会話していたことを、海フネ山川太陽月星動植物・・・、名があった (北海道でも) に決まっています。3.8万年前から続いている日本祖語という基層に、高々1世紀から入った漢語・漢字を、12世紀からのアイヌ語を殊更重要なように言うのは笑止な事です。九州にアイヌ語がって、それ逆ですよ。今、習近平が日本語の使用は禁止だと命ずれば、中国におけるちょっとした政策や、経済活動、諸研究にたちまち齟齬をきたして立ち行かなくなりますが、それで、中国語なんて最早ない、あるのは日本語などと言う者は世界にいません。松本博士の労作について、予算を投じて更に国際共同研究で発展させ、成果を子供に教え世界に普及すべきです。

日本史の始まりを扱う巷間本・動画は、現生人類が出アフリカ東進から北上した北部九州への渡海の歩み、ホントの始まりを記述していないので、その後の特に「曙海」を巡る古代史(魏志倭人伝など)がよく理解されません。

じっくり第1・2図を見てもらえば説明は要らないでしょう(既述)。そして北上した北海道から、プーチンはいないので食豊かな処女地の北上を続けアメリカ新大陸に至った可能性が、米ニューメキシコで2.3万年前の子供などの足跡が発見された騒ぎで、今、史界の注目なのです。

ただ、リードした欧米学者が、ジンギスカン侵攻の衝撃から、下2図大味に新・旧モンゴロイドと用語を定めたのは問題で、出アフリカからスンダランド地域で変化したインマレイド(古)が先ず北上し、北で最終氷期最寒期LGMころ以降に寒冷・降雪・強風に適応したモンゴロイド(新)に変化発生し、これが多様に東南アジアまで南下していることが特色です。

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日本史は応仁の乱からで十分って井の中の蛙の傲慢で、変わったのは科学技術・生活であり、人間は万年それほど変わっていません。子供に教え、世界に発信です。

図左現生人類・日本史の始まり時代の扱いに問題のあることが、前回までのアメリカ教授がJomon以前の事や特に1図伊豆の海の行き来を知らないのではと思われる原因でしょう。

折角の考古学辞典は、環状ブロック群や陥し穴猟を採り上げている「文化会」の制作なのに、タイトルが旧石器なのはヘンです。おそらく旧石器「時代」を意識したのでしょうが、それなら2図当時と今の重要な環境変化(一例赤丸)の記述は必須です。更にできれば(すでに説明の)、イブ仮説、出アフリカ、スンダランド、インマレイド・モンゴロイド、パンカル海・曙海、北東ア平野、慶良間ギャップ、黒潮の四国沖東進、・・・、「最初のアメリカ人」、無氷回廊など、扱い時代の世界祖史の中の日本分の理解に必要なキーワードを含めてほしいものです。次の日本史把握に意義ある先史時代では、縄文・弥生などと並ぶ「旧石器」が違和感ある問題で、世界では旧石器は250万年前から縄文にまで食い込んでおり、後期旧石器と正そうとしてもその時代認識は世界各国でずれがありますので、Jomonの前の先代、始まりの「祖代・祖人Proto-Japanese 」とすべきでしょう。なお、縄文・弥生・古墳の表現は、検討されているようです。

また、前回まで説明の1図伊豆の海の行き来と交易の文化・社会性は、「原始」ではありません。


そもそも30~40km以上の海を越えて家族が北部九州に来た始まりの祖代に沖縄から北海道にまで海・海峡を越えて拡がった特色に注目すべきで、その造舟・操舟の能力と広域の交易は、世界の「原始」のイメージと異なるもので、よく分かっていない、実証されてないと記述しないのは不適切です。 そしてこの度のアメリカにおける2.3万年前の子供足跡の祖先問題で注目される沿岸の「昆布ハイウェイ」Kelp Highwayを扱うことも極めて重要で、既に何年も前から世界人類史では認識されているのに日本学界では扱われていない周回遅れです。

当時は北極海の冷水が「米臨海」に流れ込まない、正にハワイに繋がる海でした。最後に、今後日本において、原人やデニソワ旧人の痕跡が発見されるとしても大騒ぎすることなく、我々の直接の祖先である現生人類・新人があくまで日本史の対象であり、要すればそれらの新発見は、前史として扱うべきです。また、北海道にマンモスを追って入って来たと言うのは誤解の元ですし、鎌倉時代に登場でコーカソイド・白人種ではない(北海道大学のDNA分析)アイヌに対する世界にみられる誤解も正されるべきです。「野史は書いたところに偽があり、正史は書かないところに偽が」(石川淳)だそうですが、正しい充実内容が書かれた日本祖史をもっと子供に、世界に発信。

右図世界が驚いたニューメキシコでの2.3万年前の子供などの足跡発見で、「最初のアメリカ人」に関し、青い線の沿岸移住図が動画に登場しています。

前回アメリカ教授の「縄文人ではない」見出しをミスリードと指摘しましたが、基本的には、左図青A日本列島ルート(A-1行くて次々に島が見える千島・クリル列島、A-2オホーツク海沿岸北上)、又は赤Bユーラシア東部内陸東進ルート(シベリア狩猟族などが)が挙げられます。ここで、日本でも新聞は謎と報じ、学校でもよく教えられていない、3.8万年前からの黒耀石を求めた左図下、伊豆の海を行き来した伊豆祖人Proto-Japanese Izu(縄文以前で、勿論鎌倉時代から登場のアイヌではない)の活動を知っていますかということです。東京諸島の神津・恩馳(おんばせ)島の良質な黒耀石が沼津地区や関東、同じく原産地の驚きの長野でも発見され、1.原産地特定と2.年代測定により、史界で認定されています。①当時は海水面が数十m低く、東京諸島の島々が拡大(大島はそれ程でなし)して繋がりが生じ、伊豆半島との間は‟海峡”のようでした。②当時は黒潮が四国沖から早々と東進して離れていましたので今の分岐流の北上は無く、従って海峡を渡ろうとする者が北に流され房総沖から太平洋にもっていかれる漂流の恐れはなく、あれば北からの親潮分岐流でしたから、最狭(17km)部で大島などを目指せば問題無く諸島に至り、帰りも大島からなら半島にたどり着きます。③謎でない一番の事は、諸島側では浜辺を綱でフネを引いて歩けば行きも帰りもずっと漕ぎ続ける苦労はないという実行の可能・容易性です。フネも、伊豆は歴史的に天皇に献上するほどの船材木の良材の産地であり丸木舟は作れ、図の様な動物の皮だったろうという説もありますが、いずれにしても問題なく造れました。操舟は、そもそもが祖人は、下図1. 30-40kmの海を越えて家族が北部九州に達して始まった海民性ある人々ですから、これも問題なく、謎ではないのです。

因みに、黒耀石を一杯積んだフネは、最狭部の大島から漕ぎだすと流され河津(桜の名所)に至ります(図赤点線)が、実はここは次の縄文時代には、黒耀石を加工する有名な工房があった所(見高段間遺跡)なのです。

無論、フネもルートも、海面上昇もあり実証は出来ませんが十分納得でき、はっきりしないから謎であり、記述しない教えないは、学問として「間違いです」。更に、この行き来の注目点は、 ①おそらくフネで行き来したのは専門集団でしよう。誰も彼もが浜に来てフネをしつらえ渡れるものじゃありません。②苦労して木材などを調えてフネを造り、持ち帰った良質の貴重な黒耀石の広域における交易には、個々の行動ではない社会性があります。③この「ダイヤモンド」を巡る活動が、争いも無く行われていたことは、この近くでこの後見られる多数の穴を設けた「陥し穴猟」と共に、指示・差配するリーダーの存在、上下階層すら窺わせ「原始人」ではありません。現在の後期旧石器時代(祖代)を教えている内容はミスリードで、陥し穴猟、環状キャンプ、世界の他より万年早い磨製石器、釣り針などを教えねばなりません。

アメリカ教授は、これらのことをご存じでしょうか、最初のアメリカ人の「沿岸進入説」が主流となった今、海を北部九州へ越えて始まった日本史、この世界考古学史上の金メダルである「伊豆の海の行き来」、そして狭くなっていた津軽海峡を越えて北海道の暮らしに適応し、北上を続けてカムチャッカ半島沿岸からベリンジアへ、ハワイに続く海の沿岸を、食が豊な処女地の下図緑、昆布ハイウェイルートは、氷期でも内陸より寒くなかったです。

沿岸進入説時代に、この縄文人の先代の北海道祖人が注目の有力候補であることが、ご理解いただけますか。

 

アメリカ教授が、「最初のアメリカ人は縄文人でないnot Jomon」という見出しになっている内容を発表しました(断定ではなく良心的な留保付き)が、結論的に図左のAかBゼロか、未知Cかあるいはこれらいずれかの混合か、といったことをはっきり打ち出すべきで、見出しは誤解を生むミスリードです。

図右上、むしろ最初に沿岸から入って来た「最初のアメリカ人」古いXとその後の主体となる内陸無氷回廊ルートの新Bの違いを認識すべきで、図左下の北海道発の海民系Aは、依然として候補なのです。そもそも時代的に縄文人(1.65万年以後)は「最初のアメリカ人」問題には関わらず、まして12世紀登場のアイヌは全く問題外な日本事情が理解されていないようで、発信不足です。日本教授、Jomonが登場しています、世界に発信を。

東京・札幌オリンピックの機会を逃した政府・学界は、今こそ米ニューメキシコにおける2.3万年前の子供足跡発見で湧く人類史の「最初のアメリカ人」問題に予算を講じて研究者の努力の豊富な蓄積を資料に、世界に広報発信を。

「調べようと思えば資料は出している」ではダメです。祖代(縄文前)については「原始扱い」で、日本の子供さえ充実の内容があるのにしっかり教わっていません。

世界人類史の課題研究は、例えば①伊豆の海で20kmを越える島を行き来し、3.8万年前に黒耀石を採集して広域の交易をしていた海民社会性を示す史実は、世界史的にも極めて重要であり、また、実は日本史の始まりと期間60%を占める文化・習俗の基層を知る事でもあります。国際総合研究の主導など、政府の特段の研究推進努力と世界広報発信を。

第1図は各地の広範なDNAサンプルから、人類がどう拡散したかをあくまで推測したルート図ですが、赤丸・北海道を北上通過する線が描画され、氷期最寒期の氷床(白)線が考慮されている点が注目され、日本国内における巷間本・博物館の井の中の蛙と言うべき3方向(北・北海道、西・北部九州、南・南西諸島からの人類)渡来図の誤りを世界の視野で正しています。

第2図は、「最初のアメリカ人」を検討するためのベリンジア関連広域の旧石器遺跡の状況を展開したものですが、大問題は圧倒的な質・量の日本関連は沖縄人骨遺跡1ケ所だけ(注:時代定義が若干異なるが、日本のはむしろ古いモノ)となっています。どういうアメリカ教授の説明事情かは分かりませんが、日本側のデータでは、列島で1万件以上、北海道は701件で、日本祖代前期(4~3万年前頃、現生人類)では、シベリア・北米地域せいぜい数件が論議中という状況で圧倒的に日本側が充実です。今回第3図2.3万年前の子供足跡遺跡の重要性は、内陸通路の未通時代における沿岸進入という近年説の補強です。祖先が沿岸から入って来たと思われるのに、海水面(時代により50~120m低下)の上昇で古い沿岸の遺跡は海中であり、ベリンジア地域~米本土で1.6万年前程度以前の遺跡しか無かったものが、一気に数千年遡り、かつ、その最寒期時代はとてもシベリアを東方へ移住するのはムリでしたから(氷床線)、その前の3万年前頃のやや寒さ緩和期が考えられますが、しっかり遺跡のバイカル湖地区は2.4万で間に合わず、RHSヤナ遺跡3.2万は一時的な使用跡と考えられていて東方移住移動はなかったでしょう。ベーリング地域遺跡は1.5万年前以降です。

という事で、始まりのBシベリア狩猟族祖先説は検討される状況なのに、日本の祖代事象、旧石器遺跡の状況、特に北海道の状況と昆布ハイウェイのAルートを発信しないのはもはや罪です。学者が人骨にこだわるにしても、北キツネやクマが石器を作り使う訳がありません、遺跡を認め認識しましょう、膨大なアイヌ・ウポポイ予算を投じて更にデータの世界仕様での、特に北海道・千島の状況の発信や貢献 しうる 国際共同研究を積極的に強化しましょう。実は日本祖史をよく知り子供に伝えるためのコトでもあるのですから。 

アメリカ先住民祖先の「誰が?」については、①唯一と言っていいネット上のモノはロシア政府資金動画(2018年末版)で、②シベリアとの類似性をビジュアルに示しています。

「親戚か?」と疑問符が付いて断定せず学問的ですが、現生人類は皆親戚ですから、DNAが近いと言っている訳で、結局はシベリアからと結論付けています。
もっぱらDNA分析に基づくもののため、北米の大氷床を踏まえた沿岸ルートという考古学の側面を認識しておらず疑問が出ますが、影響力は大きいのでは。 ③左下図の一種族の共通性の 着色 拡がり、また、④生物・物理学者による 下図の シベリアからアラスカまでの探検に基く「両岸種族がコミュニケーションしていた」類似性の報告もまあ分かります。そして、⑤一部では、先住豪とシベリア民と 北米先住民と がDNAに類似性があると不思議な科学結果を付け加えてもいます。これは直接太平洋を渡っていないなら、日本列島ルートは注目でしょう。ロシア動画は残念ながら、シベリア一色で、北海道ルートは全く登場しません。指摘したいことは多々有りますが、問題は、世界ではなんとなくこのようなイメージだと思われる点です。これまでに何波かのアメリカへの進入があり、逆にアラスカからシベリアへ戻ったものさえありますから、「最初の」アメリカ人でなければ確かにシベリア類似でよいでしょう。⑥ 2.3万年前の子供足跡の祖先、「最初の」海辺の昆布ハイウェイ沿岸からやって来たアメリカ先住民となれば、考古学的な検討を欠いたロシア動画は疑問があり、日本学界は、北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoの関りを、学問発展のために候補としてはっきり挙げるべき(累次、当ブログで説明済)です。

世界発信の弱い日本は、こういう歴史に関する説明からも悪影響を被る恐れも無しとせず、問題だと意見を表明します。膨大なウポポイ予算から、海民性ある北海道祖人を世界の議論に紹介すべきです。


新聞TV・科学誌はもとより、40を超える動画でニューメキシコの子供足跡ニュースが伝えられ解説されていますが、それでは入って来た祖先は?について全く語られていません。

これは異常で、本来は「今後、この子供の祖先はシベリア狩猟族(B)か、北海道祖人Proto-Japanese Hokkaido(A)なのか、熱い議論になるでしょう」と結ばれねばなりません。何故、全く結びが無いのか? ①シベリア狩猟族と思ってきたが2.3万年前なら最寒期でムリ、もう訳が分からず。②アメリカ先住民は、「自分達は最初からアメリカに居た」と言っているので、触れて無用なクレームをつけられたくない。③シベリア狩猟族には疑問符だが、何しろ日本学者が日本からの事を何も言ってない。④ともかく最寒期で、その前に来たとも考えられ何とも言えない。⑤とりあえず専門家と大学関係者の公式発表だけで、問題はない。・・・色々考えられますが、日本学界が、北海道祖人の可能性をしっかり世界に発信して認識されていないのは罪深いことです。

今後の発見で仮に否定されることが有り得るとしても、現下の発掘遺跡、DNA分析などの状況から、何も発信して来ていないのは、学問に貢献しない態度だと意見を述べます。

日本人は何処から?近い隣の大陸・半島族と 、何故 違う?一部の米国学者は人類史最後の謎「最初のアメリカ人」関りで、北海道の名を挙げているのに、日本の教科書・教室・巷間本・博物館で は、何故 全く見聞きしないのか?

この1枚をゆっくり見てもらえば分かるでしょう(前回 sunda-wind.net 参照)。祖代は「原始でよく分からない」と何故言うのでしょう?大昔にしては十分分かってる方で、日本学界は周回遅れであり、始まり時代で日本史期間「60%」の祖代知らずに、縄文から昭和が分かった積りの人たち。東京・札幌オリンピックは、誤解を正し日本史を理解してもらう絶好の機会でしたが、アイヌをPRすることで果たされませんでした。真実へ一歩一歩、子供に世界に、膨大なウポポイ予算を北海道祖史研究や遺跡の発掘・保護に投じ、 国際共同研究を日本が主導して 世界に貢献。

右図Timesは、1.6万年前の遺跡から、『「最初の定住アメリカ人」はアジアの舟乗りだった』を見出しにしました。

その後、メキシコで3万年前の遺跡が学者の議論に、遂に先般、石器などと違い「少年たちや動物の足跡」、植物種子が2.3万年前と米国専門家・大学チームが発表し科学誌が報じましたが、長い間の「シベリア狩猟族がベリンジアから来た」イメージから、メディアはもとより、40を超えるyoutube動画も一切が、その祖先を語っていません。本来は、「足跡の子供の祖先は、シベリア狩猟族か、北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoか、今後熱い議論になるでしょう」となるべきところなのにです。大きな理由の一つは、これに関する日本側学界の発信が何もない(周回遅れ)からでしょう。①出アフリカからの現生人類史を考えれば、沿岸ルートA-1、一部が主張する内陸ルートA-2で、4万年前頃は似たような人々が30~40kmを渡海して北部九州へですが、シベリア南部からBは到達していません。実証最古は、②原産地が特定された東京諸島の神津・恩馳島Onbasejimaの良質の黒耀石が、静岡東部から関東、驚きの長野(良質・大規模原産地が所在)でも発見されており、年代測定の最古は38,000年前で、20~55km幅の海峡の様な海を行き来したことと広域の交易は、世界に類例のない考古学史上の「金メダル」なのです。

造舟、操舟、専門集団、交易などは、やがてこの地域で見られる陥し穴猟と共に、その知的レベルと社会性はもはや「原始」などでは全くありません。朝日新聞は「謎」と報じましたが、20km向こうの大島から東京諸島のかなりの部分は舟を引いて陸地を歩けますし、海流は今の様な北上する黒潮分岐流で房総の方から太平洋へ流される危険もありませんでした。③九州から南下しトカラ列島を越えて沖縄へ、2.7万年前の石垣島人骨から復元された南方Sundaland系の祖人・石垣島は、祖史時代の「曙海」沿岸の人々が同様であったでしょうから、祖人イメージを代表できます。因みに➃最寒期には海獣が、北海道に似て仙台あたりまで居ました。既に本州中央部で連接connectionが果たされていましたが、⑤本州北端の青森の特色は、太平洋側と大雪のなかった日本海側の北上による諸経験が合一する所で、文化程度が高かったことでしょう(ずっと後にも、最古級土器、高度縄文土偶などが出現)、狭くなっていた津軽海峡を越えて北海道に拡がりました。

⑥3万年前までには達していた十勝地域は、北上の継続により千島とオホーツク沿岸からベリンジアに向かった玄関口・ゲイトウェイと考えています。この十勝の石器が、⑦北陸のモノと似ていると言われており、興味深いことです。最後に、北千島とカムチャッカ半島南部に存在していて、明治時代以降に鳥居龍蔵らが調査した旧石器時代を思わせる遊動暮らしの自称“ルートン“海民は、十勝からアイヌに追われたと伝えられる「コロボックル」や祖人・北海道の子孫とも思われ、かつてはカムチャッカの広い範囲におり、カムチャダールに南端まで圧迫されたように思われます。半島中部のウシュキ遺跡の埋葬副葬品が、2万年前の函館知内町のモノと似ていると言うことが関連を思わせ、そこまで至れば、ベリンジア到達の可能性を窺がわせます。祖人は関りある有力候補であることを、子どもに世界に。いずれにしても今回の東京・札幌オリンピックに際し、各方面にこのような見解を伝えましたが、折角の機会に世界にPRすることなく終わった事は、大きな問題で大変残念です。令和の行政と学界・日本学術会議の「汚点」として、ここに記述し残します。

既に右図の特色ある「伊豆の海の行き来」など6事象は前回説明しました。

左図を見てください、実は現在の日本の夜景の名~神地域と、北海道の北と東を少し触りましたが、列島に拡がった祖代半ばの沿岸・川岸での暮らしの人々の所在イメージは現代に似ていて驚かれませんか。対馬暖流が流れ込んでいませんでしたので、日本海側に大雪が降る事も無く、出アフリカの現生人類も列島両側を同様のスピードで北上したことでしょう。因みに、北陸と十勝帯広の石器が似ていると言われています。そして中央部(東京諸島の神津恩馳島含む)に宝物の黒耀石の現産地が充実していたこともあって広い関東平野地域が輝いています。北海道・白滝、九州・腰岳、島根・隠岐の島、香川・奈良のサヌカイトなど各地の石器素材の充実もラッキーでした。厳密にいえば難があるでしょうが、子供や世界に参考にと発信したらよいと思うのですが・・・

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