米Harvard・ハンチントン教授、田中英道教授等の慧眼が理解されない一端は、 祖史の無理解にあります。 残念ながら学問的に強い実証を強いられる、関連する国内名著の関心記述にあります。
図右上段、確かに静岡県河津(桜の名所)の縄文・見高段間遺跡は黒耀石の工房があった素晴らしい遺跡ですが、世界の関心は38,000年前からの大昔にフネを造り(伊豆の木材は船材として有名)操って、①(おそらく専門集団が)伊豆の海を行き来し、②静岡東部から関東・長野でも黒耀石が発見される広域の交易の痕跡が金メダルですが、「よく実証できない」と広く世界に伝えられていません。始まり祖代は、黒潮が四国沖で太平洋に東進し伊豆には来ていませんでした。従って、むしろ親潮の分岐流があったか、流れのない状況で、重要な伊豆半島東部~大島の最短距離を漕いで行っても、今のように相模灘から房総沖へ流され、太平洋にもっていかれて漂流する危険はなかったのです。大きく見える大島に漕ぎ出せば、ともかく諸島に達し、神津・恩馳島で黒耀石を採取した帰りは宝物を積んだフネをかなりの部分で海岸沿いに引き、所によっては漕いで大島に至り、そこから漕ぎ出れば流されても伊豆(分岐流が有れば河津)に戻れたので、不思議でも、朝日新聞が報じた「謎」などでもなかったのです。更に、この地域(静岡~神奈川)では少なくとも3万年前と言う古さで企画・穴作り大作業を要する「陥し穴猟」があちこちで行われている高い認知レベルにあり、「原始」などではなかったことが重要です。
そのことは、 3万年前の航海として、台湾から黒潮を渡って沖縄・与那国島に渡海する貴重な実験航海がなされ記述出版されていますが、 そもそも図右下始まりの約4万年前に北部九州に多くの家族が30-40kmの海を越えて来た祖先の事が、世界的には注目すべき事柄なのです。問題は、①日本始まり祖代は約4万年前で海水面低下で生じていた「曙海」沿岸と「北東ア平野」と出アフリカの現生人類の北上の認識、②対馬と壱岐から五島までの当時の海岸線までの30-40km(陸地で繋がっていたは誤解)を越えた、③多くの家族がフネ(筏)で渡海して来て、その北部九州を起点に沖縄から北海道にまで拡がり、④今、2.3万年前のニューメキシコ子供足跡発見で改めて注目されていることなどが、国内で祖史がしっかり教えられていません。
子供に教育し、世界に発信し、国際共同研究で特に北海道の祖史の研究充実を。