米臨海周辺の種族①の海民性の入れ墨は要注目です。
②最も近く先住の海岸チュクチ・オンキロンは入れてますが、内陸の蒙古系の同名チュクチは入れていません。渡って行った先のアメリカ北西海岸部のトリンギットやハイダ族などが入れているだけでなく、胸の入れ墨は北九州の海民である宗像ムナカタ族と同様です。③そこに向かう日本側の北千島ルートンは、祖先の頃からの入れ墨だと鳥居の調査に答えていますが、アイヌと戦い追われて北海道から逃げて行ったという伝承のコロボックルからアイヌは学んだと、違いがはっきりです。東北の縄文土偶にも見られ、その後の埴輪には写真のように広範囲に、文様は若干異なりますが風習があり、かつては列島中にあったのです。南島のハジチも痕跡を窺わせてますので。また、④ベーリング海峡の島のイヌイット・エスキモー、米臨海の南のアレウト族もはっきりです。
このように日本列島から米国北西海岸に至るまで、海民性の入れ墨の風習が、その進入を裏付けていると思われます。因みに、人類が着色を施した痕跡は、⑤海産物を食して頭がよくなったと言われる海岸地域の石器に残っています。流石に万年の昔の入れ墨は普通には残りませんが、アルプスの氷のお陰で残ったアイスマンの入れ墨は、他に見せるモノでなく体のツボに施した治療用とみられ南方の海民とは違いを見せています。最初のアメリカ人は「誰が何処から」で、沿岸から進入したと言われる新定説の海民の痕跡は、今は数十mの海面下ですが、入れ墨風習は、内陸民との違いを見せる痕跡と考えられます。