ミトコンドリア遺伝子(母系)-B(日本最古:「ミトコンドリアのちから」―瀬名秀明・太田成男)が示す北海道「祖人」Proto Japanese Hokkaidoの関り可能性は濃厚で、痕跡はアンデス高地(富士山頂級)にまで!正に、最古B4系のアメリカ新大陸への沿岸ルート・昆布ハイウェイ第1波の移住です。
現生人類の祖先はアフリカで誕生し、出アフリカを果たして世界に拡がりました。①mtDNA母系をたどるとイブそしてその娘たちから、日本では9系統が確認され、その一つであるイナ系統が、米国とカナダ南部の太平洋岸及び中・南米に痕跡を残しています。更に細部のハプログループB系統では②下位に4と5が確認され、4系統の細部下位のB-4-2が、北米となんと南米・アンデス高地で確認されています。考古学的には、南米チリ-モンテ・ヴェルデ遺跡の年代及び昨年発見・発表されたアメリカ-ニュー・メキシコの子供足跡から北米の「無氷回廊」はkm級の厚い氷に覆われて未だ開いていなかったと考えられており、沿岸ルートをフネで南下という第1波説が有力で、このmtDNAのB-4-2の存在とも符合しています。また、シベリアとアラスカでイナ族やBグループが発見されない(かつて存在したが消えたかも?)ことも、沿岸ルートをDNA面でともかく支持します。また、沿岸ルートは、この時代は氷河期ですが、内陸に比較し寒さが厳しくなく、日本から南米南端まで「kelp highway・昆布ハイウェイ」(緑線地域)が動植物(海獣・鳥、水産物)の食の豊かさを与えています。南米アンデス高地民が「富士山頂から三重県の海岸」くらいの距離を、食と薬にもなる海藻を求めて行動(2週間の苦労と記憶)していることは驚きです。実は、シベリア東端チュコト半島のトナカイ狩猟の内陸チュクチ族は、海岸族がオカに上がった異なる暮らしぶりのものですが、オットセイなどの海獣肉を依然として強く求め、入手して絶やさないことを思わせます。まあ、日本でも飛騨の山奥の人々が刺身を好むことと変わらないです。
さて、アンデス高地人は1.2万年前頃から暮らしていると見られていますが、海岸から山岳高地へと暮らしが拡がったことを思わせます。因みに、始まりの北部九州約4万年前~伊豆の海の行き来38,000年前・長野香坂山37,000年前~北海道3.5-3万年前~ニュー・メキシコ2.3万年前~チリ沿岸のモンテ・ヴェルデ14,850年前~アンデス高地1.2万年前で、最古B系が長い期間をかけて移住していることもムリなく理解できます。そして日本人については、チベット東部、アンダマン諸島先住民との不思議な類縁が言われていますが、アンデス高地人が加わった訳です。そもそも現生人類は、当初の数多くない出アフリカ祖先の拡がった「皆親戚」で、離島日本・アンダマン、高地のチベット・アンデスに類縁の痕跡が残っていると考えればこれも納得できます。なお、明治時代の南米移民の中の2千人とも言われる日本人が、太平洋側からアンデスを越えて東方のボリビアやブラジルの大河岸のゴム園で働いていましたが、歴史の奇縁です。海水面の数10~120mの上昇で沿岸の暮らしの痕跡発見は困難ですが、以上のような考古学、DNAの事実から、3.5-3万年前からの北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoが、南米にまで至る「最初のアメリカ人」関わりの可能性は、濃厚と言えるでしょう。
問題は、①学校で全くこの事が紹介されていない、②この万年前の話に海外では学者であっても、(鎌倉時代からの、祖人子孫とは言えない)Ainuが話に登場する大誤解です。世界人類史のみならず、日本・北海道史にとって極めて重要な本件について、先ずは誤りの歴史を正すことが重要です。日本が国際共同研究を主導し遺跡を保護し、子供と世界に発信せねばなりません。