カリフォルニア科学アカデミー講演でDr.Braje(博士:オレゴン大)は、最初のアメリカ人問題について、近年の考古学等の成果、カリフォルニア・チャネル島発掘参加などから、それまでのクローヴィス文化人先住(1.4万年前~)説は大転換されたとして、北太平洋岸の昆布ハイウェイ説を説明しました。Japanがはっきり登場したものの、Hokkaidoへの言及が無く内容も乏しいのは、日本側の世界への発信がいかに弱いかを示しています。

諸説あるが、①先住者は北東部アジア人である( DNA分析からも。 大西洋横断ソルトレーン説は違う)②無氷回廊が開通するより早い遺跡が南米にあり、無氷回廊南下説は違う。昆布ハイウェイを南下し、コロンビア川ジャンクションCJで左折した内陸遺跡が近年発掘分析されているが、最古痕跡からはむしろ回廊を北上している。③北太平洋沿岸の海獣・鳥・海産物が豊かな海藻kelp環境の共通性が移住に適し、日本から南米南端まで続き(途中マングローブ)海藻サンダルなども発見され、南米遺跡で8種類の海藻が発見されている。

しかし、①日本祖史は約4万年前から、②伊豆の海をフネで行き来し、③北海道道東に3万年前には進出し、④遠軽白滝の黒耀石は、青森から大陸沿海州にまで拡がっていた。などは認識されていないようです。

東京・札幌オリンピックです、日本学界様、こんな状況では「どうもならん」ですよ。

日本史の始まりである祖史(日本祖代前期)に注目すれば、左図、曙海の東側を時計回りで沖縄に至ったことが理解できますし、列島を北上して行って青森を越え北海道に拡がったことが旧石器遺跡から実証されます。

祖史の時代に沖縄へと、台湾山地沿岸から黒潮流を越えて行方の見えない150kmを家族で渡るのは大変ですし、まして200km以上の慶良間ギャップ越えはムリでしたでしょう(ヤシの実がたどり着くこのルートはずっと何となく挙げられて来ましたが)。次の縄文時代になっても沖縄の結びつきは、豊富な実証資料から九州の曙海沿岸地域でしたし、台湾の教授も「台湾から敢えて出て行かない」と祖代における先島への渡航に否定的です(家族渡来の食の魅力乏しく渡航危険が、理由でしょう)。北海道の場合は、津軽海峡が狭まっていて伊豆の海を行き来していた日本祖人には問題なかったですが、やはり雪と寒気が一段厳しい所で主に海獣を食・衣・住に活用した家族の暮らしへの適応に期間を要したものと思われます。

しかし、上図、誤りのwikipediaとは異なり、青森から道南~道央南部~道東~北方領土廻りで宝物黒耀石の豊かな遠軽白滝地域に進出して行ったことは遺跡から明らかですし、その後も食の豊かな処女地である千島列島(次々に島が見える)及び樺太への北上を続けたことでしょう。 今や注目の「最初のアメリカ人」アメリカ先住民候補なのです。

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さて、 上右図のように、日本祖人~縄文人(~続)~擦文人~和人の始りから父祖の地に、北方から鎌倉時代頃に渡来(出戻り含む)が有り、後にアイヌと呼ばれる人々が生じますが、勿論、北海道の先住民族などではなく縄文人を祖先にすると直系のように言うのも言い過ぎです。このような状況であるにも拘らず、ためする政治的な歴史のウソ、誤解が世界にも及んでいます。子供たちは無論の事、オリンピックで訪問するお客様に、しっかり真実を説明して誤解を解きましょう。


図下の権威・国立博の展示説明は問題です。約4万年前に住み着いたのは、私達の祖先ですよ。世界現生人類史上も注目ですが、何よりも私たちの言わば歴史的な誕生日(祖史)なのですから呆れます。道具作りのはじまり?カンベンしてください、舟を造り天文・気象海象を理解し、曙海の外洋航海で多くの家族が北部九州に渡海して来た知的レベルですから、道具なんてもんじゃありません。

それも、狩りした動物の解体もさることながら舟造りに適した磨製石斧は、この時代の隣国にも見つからない石器の世界史上の金メダルなのですよ。図上、伊豆の海の行き来や環状ブロック群、陥し穴猟、北海道進出と最初のアメリカ人候補などの重要事項にも触れずに、土器ですか?歴史説明が、驚きの周回遅れです。酷過ぎて、とても世界から訪れるお客様を連れて行けません。その内容の改善が、夏休みの宿題作業には成りますが。そして「日本祖代」が、土器の縄文時代になって行く訳ですが、この1万3千年前を巡っては、土器が出現した16,500年前とするか、拡がった1.5万年前とするか、列島中に竪穴住居や弓矢などと共にすっかり定着した1万3千年前とするのか、早く学会は決めてください。日本祖代を前期・後期とするか、前・中・後期とするのかが関わってきますので。また、旧石器時代などと言っても、世界の・日本の学者は、範囲とイメージが人によってバラバラです。とても約4万年前~縄文初めまでを示す用語にはならず、全く適していません。

ともかく、学界にいろいろな議論があるからと子供に教えないのが、一番の問題で悪いです。まずは教えましょう、賢い子供達と今後の発掘に委ねて、要すれば修正して行けばいいのです。


島国であり、1万件を超える旧石器遺跡の研究から、約4万年前というこんなに古い始まりと列島の暮らしの「日本祖史」Beginning of Japanese History(約1万年間)を語れるのは、世界にそう例のない恵まれたものです。舟の伊豆の外洋を舟で行き来、環状ブロック群、磨製石斧、陥し穴猟、北海道進出など全て世界人類史のメダル級の内容です。

先生方は海水面上昇と時の経過で痕跡が見つからないため無視していますが、アメリカ先住民の海辺の苫屋暮らし(フロリダ博物館)を加えましたが、素朴な物が有ったに違いないです、科学的に。始まりを38,000年前とする先生は、伊豆の痕跡から言ってますが、その数字を北部九州に当てるのはむしろ誤りで、南方から北上した人類史の流れと北海道を見通せば、約4万年前が科学的なのです。実は野尻湖遺跡が興味深い研究中です。因みに、祖史―先史―原史―歴史(活字時代)という用語区分です。祖史の1万年で、何が良い・悪い、旨い、出来る・危ない、など暮らしの基本となる精神性やノウハウが出来ていったことでしょう。

今後、6万年、10万年という古い時代の痕跡が見つかると大騒ぎになるでしょうが、旧人と考えるべきで祖先ではなく騒ぐほどの事では有りません、念のため。欧米先生は、この旧人と祖先新人の交雑を騒ぎますが大した問題ではなく、それよりもアフリカの黒人祖先がどうして自分たちになったのかの足取りをもっと研究すべきです。さて、恵まれて良く分かるこの「日本祖史」、アイヌ先住決議の国会は世界に対する大恥であり、歪んだ先生の屁理屈で子供に教えない文科省は、怠慢というよりも最早犯罪です。(言っちゃった)

そして、祖史の3万年前頃を過ぎて、史上最大の災害である鹿児島・姶良大噴火、石垣島進出の痕跡、遠軽白滝の日本一の黒耀石の活用などの日本祖代後期となって行きます。加えて、「最初のアメリカ人」候補としての北海道からの北上継続です。


東京オリンピックのエスコート・ボランティアの人ならば、ホスト国たる日本始まり時代の左図で当時の環境に想いを馳せれば、右の英語で外人さんに説明し議論できるでしょう。

東静海峡とは、東京諸島と静岡県伊豆半島の間の海域で、38,000年前から、日本祖人が黒耀石obsidianを採取に海を行き来していたと言う、世界の考古学者が金メダルに認定していることで有名です。米臨海は、北極海の冷水が地峡で止められて流れ込まなかった時代の正にハワイに繋がる海域です。環太平洋言語とは、地域の人々の言語の特性に万年を越える古い時代からの共通性があること(比較言語学・松本克己博士)で、LとRが区別できないのは仕方無いのです。北海道祖人は、最初のアメリカ人候補として特筆されますが、Hokkaidoの地域名を換えれば何処にも適用されます。

「最初は対馬と思うが、五島だったかもしれない」「大きく海を越える先島へは、台湾からか本島からか分からない」「対馬暖流が流れ込んでなかったので、日本海側に大雪はなかった」「仙台くらいまでオットセイなどが居たようなので、北海道暮らしの準備は出来ていた」「石器は、道東と東北・北陸の物に類似がみられる」など、一段深い話も時に披露しましょう。Jomonの前ということで縄文時代は登場しますが、鎌倉時代からのAinuは誤解を正すためにだけ登場させてください。さて、最後に日本語で「知らんけど」と付け足しておくといいようです。 http://www.sunda-wind.net/news/8386 http://www.sunda-wind.net/news/8378

さあ、いよいよオリンピックですよ!


北海道「日本祖人」(縄文人先代)が、最初のアメリカ人の候補であることを前回まで説明してきましたが、巷間の3方向誤り渡来図のために、世界現生人類拡散史の重要区間のバトンを繋いだ歴史が誤解されています。

Q1.最初の縄文人の父母は、日本祖人Proto-Japaneseであって、JomonやAinuではないことをはっきり説明しましょう。Q2.東北から津軽海峡を3万年前には渡って行った日本祖人であることを説明して誤解を正しましょう。欧米には、昔の北海道には白人が来て居たと明治の外人教師が誤りを言ったため、今も一部に引きずっています(注目すべき数は、全くいませんでした)。始まりの歴史から、日本列島では大きな人の入れ替わり、短期大量の人の渡来は確認されていません(騎馬民族は、来なかった!)。東京には、スタバ、マクド、ケンタッキー・・・あふれていますが、そんなに欧米人は居ません。昔の石器や何かの大陸文化が全て大陸人の渡来とみると誤りです。

下図の細部は、http://www.sunda-wind.net/news/8347

そして、北海道祖人は、最初のアメリカ人候補という訳です。なお、説明に不安な人は最後に「知らんけど」(日本語で可)と付けておきましょうwww。問題ありませんよ。日本の教授で上記の事をきちんと英語で説明できる人は居ませんから。


カナダ国境の「(魚)ムツBluefish洞窟遺跡」は、時代を隔てた2度のカナダ老若カナダ研究者の努力によって、馬のあごなど15の異なる骨の人為的な傷と骨器や石器で知られ、年代測定で24,000年前と出て、余りに古く今も大半の欧米先生が懐疑的です。

それは即ち、ベーリング地峡で人類が滞留する前に、最寒期LGMが到来する前に、ユーコン川を遡上して洞窟に痕跡を残したことになります。3つの洞窟だけでなく75km離れた所(流域のOld Crow)にも古い痕跡を残しています。問題は、シベリアのしっかりしたバイカル湖遺跡と同時期なので欧米先生はアタマを抱えます。ヤナRHS遺跡は単発で、どうも移住して行ったようにみえません。近年でも―60℃で凍死事故の出ている厳しい所です。さて、欧米先生は北海道を十分に認識してないんじゃないですか?東北の遺跡に根を持ち、伊豆の海を3.8万年前から行き来した海の民系の子孫が、3~2.5万年前、道南から遠軽白滝まで人骨こそありませんがしっかり石器などの痕跡を残しています。

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当時は北極海の冷水を地峡が止めて流れ込まなかった「米臨海」を北上して行ってユーコン川の河口からムツ洞窟にたどり着く事は、決して絵空事では有りません。世界に発信し子供たちに教えて、将来の研究に期待しましょう。



当時の海水面(気温・動植物等)、旧石器遺跡状況、DNA分析、比較言語研究(松本克己博士)などから、北海道が有力です(理論歴史考古学)。

アフリカを出た現生人類が東南アジアを北上し、暖かくなって動き出して4万年前頃に「曙海」を舟で渡って北部九州へ、日本海側にも大雪が無かったのでそのまま列島中を北上、 当時としては 最も暖かった3万年前頃に津軽海峡を越えて拡がり、海獣・昆布などの食の豊か処女地を引き続き北上、ベーリング地峡に達し、最寒期になって閉じ込められて数千年の足踏みでDNA変化、やがて温暖化し北太平洋沿岸の昆布ハイウェイ沿いに舟で米本土に進入という訳です。言葉が環太平洋語という共通性が保たれたことは、文化・習俗が受け継がれたことを窺わせます。一応これで理解できますから、ともかく子供たちに関連を教えて研究の促進を期待しましょう。


最新の研究では第1図、①舟で入って行ったと考えられ、DNA分析から最寒期LGM以前にベーリング地峡に達し、氷床が融けるのを待った数千年の地峡での滞留間にDNAが変化し新大陸に入って来たと考えられています。昆布ハイウェイに沿って茶点線のように海面低下で陸地が出ていましたし、米臨海は北極海の冷水が流れ込まないハワイに繋がる海でした。

問題は、シベリアのヤナRHS遺跡(一時的なもの?年代?)が知られており、その後の1万数千年年代の遺跡も知られていることから、第2図、欧米先生には舟だろうと大型哺乳動物を追ってだろうとシベリアから来たと言う認識が強い事です。「日本祖代」の豊富な北海道の遺跡が、それらと並んで図になっている英文資料を全く見ませんから、日本の研究と発信に大きな問題があります。まして、子供達に重要なこの問題の状況が教えられていないことが大問題です、細部次回。

実は下記第2図、巷間本・博物館の日本始まりの3方向図からは、ベーリング地峡に向かうこの問題への参加は全く有り得ませんので、誤りは罪深いことです。



今回は③スリランカです。独(マックスプランク研究所)、豪、地元の研究者が、それまでは生活はムリとみられていた熱帯雨林で、欧州より古い弓矢や服に関する最新の発見です。その環境適応の知的レベルに注目なのです。

これで、④過半が沈んだ人類史の補助線スンダランド熱帯雨林地帯も生活が考えられ、地域の洞窟壁画や舟による渡海などが良く理解できます。「日本祖人」は⑤約4万年前、九州に到着した時からかなりの知的レベルであったことが分かります。これまで出アフリカ~南米までの拡散史をお知らせして来ましたが、これらはご先祖(縄文人の先代)「日本祖人」に関する日本史課目であることが学界では理解されておらず残念です。 日本列島渡来の始まりは、 北・西・南の3方向からという誤りかつ井の中の認識では、「国際人」になる子供の「日本史」教育は全く出来ません。


「最初のアメリカ人」問題は、ベーリング地峡へ向かう①―>DNA分析から数千年間、融けを待って滞留か②―>氷床の一部が融けて「昆布ハイウェイから舟で」まず進入(最新説)③です。問題は、日本列島のみならずベーリング海のエスキモー・アリュート族、そして南北アメリカ大陸先住民とも環太平洋言語圏A(比較言語学 松本克己博士)である事です。欧米ではこの事がよく知られていないようですが重要で、西太平洋沿岸民がまず渡来進入しました。

ア.ベーリング地峡滞留地で既に言葉がAだった、または、イ.先に米本土に 進入したAが長い間に北・南アメリカ広域に拡がり、言葉が定着してから、内陸狩猟族が主に内陸「無氷回廊」から逐次に入って来て言葉を入れ替えることなく、闘いの強さから今は人的に主流になっているようだと解釈できます。欧米先生の認識と全く違う仮説が、考古遺跡とDNAの分析に言語の面からムリ無く理解できます。そうなると北海道は世界人類拡散史において極めて重要で、今や北上して行ったのかどうかではなく、ルートは、a-1かa-2だったのかというレベルです。a-1は次々に島が見えていて比較して温暖であり、十分列挙されます。

そして、北上して行ったのは「北海道日本祖人」であり、縄文人は生まれておらず、鎌倉時代からのアイヌは問題外です。北海道日本祖人は、アメリカ先住民の先祖の可能性があります。直ちに3方向日本渡来図を北上図に訂正し、子供たちを世界の議論に参加させましょう。


3方向渡来図の誤りの一つは出て行かないため、世界人類史の最後の謎であるアメリカ南北先住民は何処から・誰?議論に参加していないことです。今それまでの定説が覆り、無氷回廊が開いていない(開いて間もない)時期なのに、北米いや南米チリでも遺跡が報告(14,500年前)され、ベーリング地峡の「沿岸から昆布ハイウェイ沿いに舟で来た」が、新説です。

しかし、欧米先生は依然としてDNAや歯からシベリア狩猟族のイメージでしょう。それは、松本教授の言語研究がよく知られていないためでもあります。実は米先住民の言葉は、日本人などと同じ環太平洋言語圏であり、シベリア狩猟族とは違うのです。日本語は縄文時代くらいまでさかのぼって環太平洋に仲間がいて特殊なモノでなく、英語の先生にいくら注意されてもLとRは区別できず、1冊1本も10冊10本であり単複同じでSを忘れます。美しい、美しくない、美しければと簡単に言えますが、beautifulから「美しければ」を英語で言えと言われると何付けていいか頭抱えます。お月様は男か女かと訊かれ、キョトンとしていて立たされます。

最初のアメリカ人は、17,000年前頃、入って来たと考えられていますので、縄文人はまだ生まれておらず、鎌倉時代頃からのアイヌ(北海道大学の研究)は論外です。最近、やっと人類史の欧米先生が、JomonだのAinuだのと言わなくなってきました(日本国会のアイヌ先住決議は誤解を広め罪深い)。今、3万年前からの北海道「日本祖人」に注目し研究(3方向渡来図は罪深い)されるべきなのです。 世界の話題は舟ですが、 何しろ、38,000年前から伊豆の海を黒耀石を求めて行き来した海民の子孫ですので。


日本人は何処から?3方向渡来図の出発地(赤丸)がおかしく、B1地域とちゃんと描くべきです(Aからなら意味なし)。ところがここで、ジンギスカンにびっくりした欧米学者の誤りは、AとB1を同じ「古モンゴロイド」と呼んでいることです。

本来、B1がその後、降雪寒冷に適応して体が変化した(平たい顔、細い目、貧毛、短足・手など)人たちをモンゴロイド(B2)と呼ぶべきなのです。このB1とは何かが、出アフリカ後に何処をどう来たのか、どのくらいの量か、どんな変化か、混じり合いと時代の差もあり、「訳分かりません」。そして、3方向からの人たちを混ぜ合わせたらどんな人たちになるのか、これも図を入口で止めているので「訳分かりません」。つまり、単一民族ではないと言いたいだけの印象操作図ですから学問足り得ません。決定的なのは、DNAもさることながら3方向を描くなら重要となる言語であり、AとB1は万年を遡って違うのです。それはA環太平洋語族とB1内陸の諸語族の違いなのです(次回)。

日本人は何処から、誰?は、約4万年前から始まり3万年前には列島中に拡がった Aの西太平洋沿岸族の北上を基本に、後でいろいろに渡来した者たちなのです。重要なことは、いろいろ渡来して混じり合っても言葉の基本、文化習俗に共通性の幹があることなのです。言葉の基本を変えるような大量の人の流入や征服は無かったのです。違いは地域の特性に応じた暮らしぶりと方言なのです。


前回は世界人類史の北上(第2図)でしたが、何故、アフリカを出た黒人が北海道にまで至ったのかは、幾つかの幸運のお蔭でした。第1図、注目は仙台以北の狩りが容易な海獣・鳥・卵の食と衣・住への活用の幸運です。北海道という寒さに適応する訓練が出来ていた上、更に昆布ハイウェイがあり豊かな海藻が加わりました。

当時は対馬暖流が無く、日本海側に大雪が降らず、各地に点在した宝物の黒耀石が長野でも採れて太平洋側と日本海側が繫がり列島2軸並行発展と文化融合がありました。北海道でも宝物石が豊かに採れた事も幸運でした。神津・恩馳島に良質な物が有ったので、海洋を舟で行き来したのも大変な造舟操舟のノウハウ向上でした。それでも北部九州から北海道まで行きつ戻りつし、厳しい寒さに適応するまでに1万年というじっくりの長さを要しています。3万年前、沖縄へはトカラ越えが大変だったのでしょう。北海道から更に北上を続け、米新大陸に向かったと考えられます。

そして更に、1万数千年後に温暖化に伴う煮炊き保管の土器が生まれ、学者によってはこの時期から縄文時代と呼んでいますが、当然、前後で人に違いは有りません(江戸人と明治人)。ここで、青森は注目です。太平洋側と日本海側の東西、東北と北海道の南北文化がクロスした十字路ですから先進性が生まれて納得で、三内丸山、遮光土偶と日本文化をリードします。2.9万年前の先進鹿児島を襲った姶良大噴火が大変残念でした。

「因みに、出アフリカ黒人が東南アジア・Sundalandで変化したのは「インマレイド」人種(仮称)で、北上して日本列島に来ています。日本列島でなく南シベリア・モンゴル地域へ、あるいは出アフリカから直北上して同地域に至り、「降雪寒冷適応」を果たして変化した人を「モンゴロイド」と言うべきです。従って、モンゴロイドが日本列島に来るのは、実はずっと後の事(せいぜい2万年前)なのです。現在の新旧モンゴロイドという言い方は、ジンギスカンにびっくりさせられた欧米学者のアジア人に対する大雑把な呼称で、誤りです。

  

巷間本・博物館の第1図3方向渡来図は、日本列島に入るばかりで出て行かないので、鎖国のようで世界人類史研究には何の寄与もありません。実際は南方からの北上の一方向性が1万件の旧石器遺跡で示されているのにです。

北海道ルートは、書かれている時代に沿海州にも樺太にも遺跡の発見は有りません。それよりも北上した遺跡が3万年前から十勝、千歳、2.8万年ですが遠軽白滝にあるのです。対馬ルートは、あたかも大陸の内部から来たかのようですが、実際は沿岸からの北上で、時期も38,000年前は既に伊豆の海を行き来していますので、約4万年前とするのが正確なのです。沖縄ルートは、九州からの南下なのです。先島が、慶良間ギャップ越えか、台湾からか議論となります。移住は、女性や老人・子供を伴うものですし、台湾の学者は、黒潮を越えては行かなかっただろうと言っています。それは、危険に比して食料などの魅力が不十分だからです。このようにおかしい誤解を招く図が描かれ、世界への寄与も阻害されているのです。

むしろ、欧米学者の説を取り上げた第2図、緑線は日本列島を通って17,000年前頃に渡米しています。その理由は、米大陸が氷床に閉ざされている時代に、同等以上に古い遺跡が米本土のみならず南米で発見されているからです。但し、細かい点で地域への理解が不十分です。①出発は大陸内陸からでなく、パンカル海の沿岸族の北上です。②家族の慶良間ギャップ越えは無理で、沿岸から北部九州に至り日本列島を北上したものです。③アッツギャップは、450kmもあり家族の渡海はムリでしたでしょう。④DNA専門家は、ベーリング地峡で、沿岸氷床の融けを待った“滞留”があったと考えています。北海道「日本祖人」A,シベリア狩猟族Bが共存した事でしょう。

以上から、昆布ハイウェイを行った「最初のアメリカ人」Xは, A, B, A+B, 混ざって変異したCなどが考えられますが、誤りの多い第1図3方向渡来図は、全くこの議論に参加できず寄与しない事が最大の問題なのです。


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