縄文Jomonは世界的にも知られ、最新のDNA分析によって現代の日本男女は、周辺の国の人と比較すると縄文時代由来の要素を8割以上有しており、いわゆる「 渡来 弥生人」 の実態は 縄文人の子孫 と判明 しており、その後の古墳時代から現代までも遺伝特性を換える大きな異質民族の流入のない、人体は環境に応ずる 連続的な 差異です(長浜浩明 日本人ルーツの謎を解く)。マクド、スタバ、ケンタッキーが街に溢れても、ヒトが欧米化したわけで無く、明治時代と大して替わっていません。では、縄文の前の日本祖代はどうだったのか?出アフリカの現生人類が東進して東南アジアから北上し、約4万年前に北部九州に渡海して列島に拡がりました。2.7万年前の祖人・石垣島のような祖先の人たちだったでしょう。

祖人は、38,000年前から黒耀石を求めて伊豆の海をフネで行き来し、縄文時代の工房跡も河津地区で見つかっています。

鹿や猪の生態を把握して計画的にリーダーの指示で鉄器もないのに1m以上の穴を多く掘って陥し穴猟をしていた知的レベルと社会性を示し、北海道の雪と寒気に適応しまいた。そして北上を継続し、今、世界が注目する「最初のアメリカ人」として、渡米の可能性があります。

氷河期が終わり温暖化する時代に、大陸の細石器文化が北から西から列島に及んでいて注目されますが、例えば下図のヒトT細胞白血病ウイルス1型 HTLV-1キャリアが、島などに多く残る状況を分析すると、大昔から特筆すべきヒトの実質変化は生起しておらず、北海道も 基本的には始まり(南方人)の 特性が維持されていたことが分かります。 そして、土器の出現で縄文と名が変わ るだけの 連続推移の孤立的な島国 なのです。

学校も巷間本もこの事を扱ってませんが、考古学界の努力で、これほど大昔の始まり時代を考察しうるのは世界でも傑出してるのに、余りにも厳密実証に捉われているためか、扱っていないのは問題です。子供に教え、「最初のアメリカ人」問題に参考となる背景状況を世界に発信しましょう。

オリンピックが来るのに、第1図万年前の石器が北海道と米西海岸の物が似ている事、第2図最初のアメリカ人は、沿岸・赤色の昆布ハイウェイから1.7万年以前にフネで入って来たという新説(米国学者の7割支持)が、日本では教科書に載ってなく巷間本もなくSNSですら殆ど語られない理由の大きな一つは、説明し論ずる適切な用語が無いからです。

吾輩は猫である、名前はまだ無いなのです。世界に通用するのは、1.Proto-Japanese 日本祖人です、そして日本祖代。各地で発見された人骨は地名を付せばいいのです。 2.原人は、 明治時代に言った人もいましたが、ジャワ原人が発見されてますしダメ。 一般に3.旧石器時代が言われますが、実は世界では200万年前くらいから始まりますので不適で、後期を付しても欧米、アジア、日本でイメージに差があります。 5.先土器・無土器も始まりの前が青天井で不適です。6.岩宿人は、日本の旧石器時代の発見に繋がった由緒ある地名ですが、沖縄から米新大陸までを視野の国際時代にはちょっとムリです。7.ヤポネシア人は国際的ですが、何処の人?という質問に説明が必要ですし、南方のどこかかなという誤解の恐れも。さて、将来的に仮に日本で最古の遺物の石器・人骨として、旧人ネアンデルタール・デニソワ人のモノが見つかったとしても、直接祖先ではないですから騒ぎ過ぎないようにしましょう。まあ、サルとヒトの中間で、はっきり違いますから。

何とか、現在世界で知られるJomonくらいに、Sojin、Sodaiで通ずるようにしたいものです。そして、世界にかなり誤解がある鎌倉時代からのAinuとは全く違うモノであることを、はっきりさせて正しましょう。なお、これで分かるように、「縄文Jomonはどこから」という問いは愚問で成立しません。2代目は、日本列島からに決まっています。

日本人と似ているナバホ族の暗号通信手の大戦時の活躍(第3図)、最初のアメリカ人Nativesの最新説の昆布ハイウェイ移住(第2図)について説明しましたが、考古学的には第1図槍先形の有舌(茎)尖頭器が、不思議なほどよく似ていることを日米の学者が現物を手にして確認しています。

始まりの日本祖代から日本列島にはナイフ形石器があり、それが 有舌(茎)尖頭器 に進化発展したもの、あるいは大陸から伝わったものと考えられ、氷河期後の温暖化しだした時代(1万数千年前~)の狩猟に大きな進歩をもたらしました。図の形態は、祖代の次の縄文草創期のものとみられますが、一方向の広がりではないようです。この舌・茎の部分の形状を含め図各地のように、微妙に各種の異なりが見られ、日本列島内でも4種に区分されたりしています。ともかくこれだけ離れて類似ですので、北海道と西海岸だけでなく発掘された石器を広く研究分析する必要があります(縄文人はフネで直接渡洋したか、ムリでしょう)。まずは、日本学者が北海道だけでなく、経路途中や西海岸や大陸の石器も共同研究できるように科研費を投じましょう。世界人類史的にも期待されているのです。子供に教え世界に発信しましょう。まさか有舌(茎)尖頭器が、ネットで安値で売り買いされていないでしょうが、遺跡遺物の保護にも努めましょう。

前回図右ナバホ族の活躍を紹介しましたが、米国では図左最初のアメリカ人は沿岸から説が考古学者の7割で、シベリアのマンモスハンターが内陸の無氷回廊から大型哺乳動物を追って説はもはや主流でなくなっています。

それを実態的に支える理由の一つが、図の沿岸赤色の食の豊かな海藻エリア(海獣・海鳥卵など含む)であり、「Kelp Highway昆布ハイウェイ」からフネで、無氷回廊が未だ開いていない古い時代(1.7万年以前)に入って来たと南北米の旧石器遺跡・遺物から判断されるという訳です。新説第1人者のErlandson博士の図では、千島列島が書かれ重要な事実(次回)が説明され、祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoの北上が注目されますが、こんな新しい重要な事が、巷間本・博物館・教科書に全く載っていないことは残念というより驚きです。東京・北海道札幌のオリンピックです、子供に教え世界に発信しましょう。

最初のアメリカ人は「ベーリング南岸をフネで1.7万年以前に入って来た」新説と図左前回のY染色体M130の拡がりなどから、祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaido(縄文人先代)と米西岸Native先住民の繋がりが注目されますが、実は驚くべき秘話があります。

先の大戦で、図右米先住民ナバホ族の言葉は、他の先住民ですら分からないので暗号に使えるだろうという上層部の決定で召集され(当初29名の約410名)、サンディエゴで7週間の教育を受けてから第1海兵師団の前線の通信手として太平洋戦線に投入され活躍しました。ハワイ日系2世の活躍と異なり、ことが暗号通信なので秘密にされ、1968年ごろからやっと明らかにされ、部族で誇りをもって顕彰されて、やがて議会の金・銀メダルを授与され、2017年には生き残っている3名がホワイトハウスで表彰される名誉に浴しました。日本軍には決して分からないから暗号に使えると言う事からでしたが、現在では3万年前からの祖人・北海道の事やM130のことなどに加え、日本言語学会長をされた松本克己博士が環太平洋言語の同系性を論文とされているので、当時の軍上層部が聞けば冷や汗をかくかもしれません。尤も、それでも暗号は全く破れないですが。いずれにしても、祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoと米西岸Native先住民の関係、ナバホ族などの沿岸先住民のこの面からの研究、両者の歴史を遡った関係についてもこれからの事です。科研費に値すると思います。子供に教え、世界に発信しましょう。

RYM130って何? 下図右Spencer Wellsによる最古級のY染色体M130の拡散Rルートの事で、前回の洞窟絵マロス・マカッサル地域における枝分かれに大注目なのです 。

前回まで図左ネズミが示す南方からの北上や伊豆の海の行き来、新説のベーリング沿岸を入って行った「最初のアメリカ人」候補として、巷間本等の3方向渡来図の誤解を正しました。図右3万年前からの祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoは、ずばり、男性継承のY染色体が図の通りに米国北西岸先住民に繋がっている可能性がはっきりです。そして同図下の青字ハーヴァード医科大による驚きの発見である、アマゾン古部族とアンダマン人・豪アボリジニが他に無いDNAの類似性を有することも、点線のように延伸すれば「太平洋を横断したんじゃないの~」と先生が記者に冗談を言われなくても理解できるのです。オリンピックが来ます、日本の先生によるWellsやハーヴァード医科大などのこれらの研究の総合分析が期待されています。まずは子供に教え、世界に発信しましょう。

前回、下図(左)の南方ネズミの列島定着で巷間本等の誤解を正しましたが、図(中)その南方で最新のウラン・鉛年代測定法により、インドネシア・スラウェシ島・マロス洞窟群の多くの洞窟絵の最古のモノは45,500年以前と判明しました (Science Advances  13 Jan 2021) 。

洞窟絵では、フランスやスペインのものが有名ですが、マロスのモノは高い認知力を有し断然の古さで金メダルです。注目は、この海に近いマロスの洞窟絵には舟を画いたモノがあり、中部スラウェシでは帆柱付きのモノもあります。実はこの地域は「海の民」(マカッサル・ブギス人)として有名を馳せ、活動はマラッカ海峡から豪州に及び、シンガポールにはブギス駅もあります。この古さと認知力は、南方から北部九州に約4万年前に家族で渡海し、祖人Proto-Japanese が沖縄から北海道にまで列島に拡がり、図(右)伊豆の海では38,000年前から黒耀石を求めて20km以上を行き来して海上行動分野の金メダルを獲得したことを納得させます。今、現生人類史最後の謎、「最初のアメリカ人」についての新説は、1.7万年以前にベーリング地峡沿岸・昆布ハイウェイKelp Highwayをフネで入って来たというモノであり、狭いとはいえ津軽海峡を越えて雪と寒気に3万年前には適応していた祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoが候補として関りがあった可能性があるとして注目されるのです。

そして下図、南米アマゾンの古部族とマロス洞窟群を含むスンダランド地域の古人のDNAが不思議に類似である事も踏まえた、現生人類の環太平洋移住MPOR(Migration along Pacific Ocean Rim)説(スンダランド地域から日本列島、ベリンジア南岸、北米・南米西岸―日本祖代研究会が提唱)が注目されるのです。

日本の子供がこんなことを全く聞いてもいませんし、世界でも認識はまだまだですので、オリンピックを機に教育し発信しましょう。

巷間本・博物館は図左3方向渡来図を示しますが誤解の元です。

前回の遺跡・石器に続き、日本のネズミのDNA分析(図:東教大・米川、東大・森脇)を考察すると、まず①南方からK種が北部九州に渡来して拡がり、その後②大陸から別種Mが 主に九州に 入って来て拡がり、③関東甲信越以西のMと北部日本にKが残ったということです。ネズミが人に寄り付いて動くと考えれば、この図は実に納得の成り行きで、日本文化の基層の形成を示すモノとも言えます。北の縄文遺跡の世界遺産登録の事も、よく理解できます。この北に残ったKネズミの寄りついた人たちは当然、原日本語を話していましたので山も川もみんな名前がありました。これは、鎌倉時代アイヌが登場するずっと前、万年千年前からの事です。子供に教え、世界に発信しましょう。

時代を異にする図左3方向渡来図や祖代を「原始時代」としているのは誤解の元で、日本列島史の始まり時代は、世界考古学史上の多くのメダルに輝いている(図中赤字)のです。

こんな時代の近隣や欧州に見られない磨製石斧をはじめ、造舟・外洋の操舟、釣り針、黒耀石を求めた20km以上の海の行き来、環状の集合居住の社会性、動物の生態を把握した陥し穴猟は九州から北海道まで、1m級以上の大きさと深さの多数の穴を知的に計画し多くの人に指示して共同作業で鉄製スコップのない時代に掘って作っているのです。そして、「世界の『最初のアメリカ人』研究」においてマンモスハンターが動物を追って入って来たという定説に替わった、北太平洋・ベーリング海沿岸の昆布ハイウェイKelp highwayをフネで入って来たという新説で、今や海の民系の祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoが注目されているのです。

というように、日本祖代は世界史的に注目される事象が豊かな期間であり、日本史的にも明らかにその後の生活文化の基層を為す重要な始まり時代なのです。まず北上史を基本とし、子供に教え世界に発信しましょう。

現下の巷間本・博物館の展示は、図左上の3方向渡来図になっていますが、時代の異なるモノ(もしかすると新・旧人も区別せず)を合成した誤解の元です。

既に、我々の祖先である世界の現生人類の拡散研究において、第1図の東南アジアから北上した日本列島の通過、第2図の広域にわたる赤線の列島通過及び昆布ハイウェイを行ったアメリカ新大陸(南米まで)に至る環太平洋における拡散という説を、日本側の発信の乏しい中で米国の複数の学者が研究し提唱しているのです。そして、前回報告のように1万件を超える列島の旧石器遺跡は、第3図の日本祖代における列島北上史を示し、かつ土器が登場した変化で「縄文」と呼ばれる時代に切れ目なく繋がっているのです。この間主に、北方及び西方から人・文化の流入は有りましたが、民族交代は無い受け入れ吸収と地域差変化のレベルであり、2万数千年間の祖代、1万年の縄文時代の日本史における影響は基層として大きく、大陸・半島国との生活文化・信仰・言語などの違いの大きな要因となっています。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: bf1fac8784ce5c9baf074c693df15cdc.jpg

3方向渡来図の1番の問題は、今、世界人類拡散史の大きな問題である「17,000年以前にベーリング海沿岸をフネで入って来た最初のアメリカ人は、いつ誰が何処から」に、伊豆の海を38,000年前から行き来していた海の民「日本祖人」Proto-Japanese が参加していないことです。出発地である北海道の祖代史の解明が、今や世界人類史にとって重要なのです。それにも拘らず、祖代の世界的に貴重な磨製石器が、3千円足らずでネットで売り買いされている大恥の文化保護状況なのです。

アイヌ・ウポポイ施設に200億円もの大予算が投じられ、今後とも60億円という大きな予算が予定されているのにです。 始まり祖代の列島北上史・北海道祖代史の研究 及び 遺跡遺物の破壊損失の回復に 大きな予算を投じて体制を充実させ、子供に教え、世界のお客様に紹介しましょう。

 謹 賀 新 年

近年の研究により、① 沖縄の 痕跡は3.6万年以前からで、古人骨は現生人類の出アフリカ後のインドネシア、ベトナムという南方古人骨と形質類似性があり、②本州はやがて縄文人骨へと変化して行ったが、沖縄では島で古さを継続し、③世界的には島で持続的暮らすのは容易で無いが、沖縄では島の環境に適応した固有の南方系の生活様式 (例えば最古釣り針や旧石器が殆ど見つからないなど) を持続した。

さて、その始まりの渡来を考えると、与那国ギャップと食料などを考慮すれば台湾山地からの多くの家族の直接移住は容易でなく、更に200kmの慶良間ギャップを家族で越える困難さ、既に3.8万年前には日本祖人が伊豆の海で行動している事を考慮すれば、「曙海」西方の北東ア平野沿岸を北上し北部九州に渡来して南下、沖縄に至ったものと考えられます。そして、列島の1万件を超える旧石器遺跡の分析から、祖代及び縄文時代に異民族の大渡来・移動の大きな変化はみられないので、 発見されている 沖縄最古人骨と同様の祖人Proto-Japanese が、伊豆の海を越え、北海道の雪と寒気の暮らしに適応し、北上を継続してベーリング地峡に向かった可能性が考えられるのです。

沖縄研究の重要性は、この「曙海」沿岸の人々と同様の日本祖人がやがて北海道にまで (日本祖代:約2万数千年間) 、可能性としては図点線矢印を延長したベーリング地峡、そして17,000年以前に沿岸からフネで昆布ハイウェイKelp Highwayを入って行った「最初のアメリカ人」Nativesに関っていることなのです。

子供に、オリンピックのお客さんに説明しましょう。

  

2つの図(第1図2009年Dr. Spencer Wells、第2図2020年Dr. Jon Erlandson)を注目していただきたいのは、いずれも人類の拡散史の”聖火”が日本列島を通過していることです。このことが重要なのは、3万年前には既に北海道の暮らしに適応していた、祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoが、 昆布ハイウェイKelp Highwayをフネで入って行った、最初のアメリカ人First Americans/アメリカ先住民Native Indiansの祖先 である、関りがある可能性があることです。
皆さんが図書館、書店、博物館に行ってまず見ることのない世界人類拡散の北上図というモノなのです。

日本の 図書館、書店、博物館 などで見る図は、下左図の樺太から北海道へ、朝鮮半島の方から九州へ、台湾の方から沖縄へ矢印が引かれた、何故か1種類のいわゆる3方向渡来図なのです。しかし、そういう人・文化の渡来は有りましたが、 実は ずっと新しい時代を含めたものであり、また既にいた先住の日本祖人Proto-Japanese及びその子孫と大幅に入れ替わるようなこともありませんでしたので、誤解の元です。第1第2図のように南方から沿岸地域を北上したモノで、日本列島の1万件という豊富な旧石器遺跡が示しています。ちなみにアイヌは、鎌倉時代頃からの在日の人々ですから、史的な”先住民族”では全くありません。

さて、上記の3方向渡来図が誤解を招く元である事は、下第1図のように、日本祖代では暮らしぶりにあまり差のない人口に濃淡のある違いという特色であり、縄文時代に至っても地域の差はあるものの一体性が見られることが、日本史の特色なのです。

即ち、約4万年前頃から、北部九州から拡がった一方向性である2万数千年に及ぶ文化の基層と言うべき特色が重要な点なのと、北上しベーリング地峡、アメリカ新大陸に至った可能性です。 何故か巷間本等では北上せじ、欧米学者のようなアメリカとの関わりがまるで出てこないのです。

更に、日本学界側の発信が十分でないのは、38,000年前という古さで伊豆の海を黒耀石を求めて、日本祖人Proto-Japaneseがフネで20km以上を越えて行き来していた世界人類史で特筆される行動が、よく伝わっていないために第2図には書かれてなく、30,000となっているのです。

図では、シベリアの方が35,000-25,000(黄色枠)と書かれていますので 、列島が書かれている30,000ではなく38,000である意味は極めて重要であり、北海道が30,000年前には既に暮らしがあったのですから比較の点で注目されます。オリンピックの年ですから、まず日本列島に約4万年前に”聖火”が入り、3万年前には出て行ったと考えられることを、少なくともそういう考えが世界の学界にあることを子供に、世界の一般の人々に発信すべきです。行く年来る年、よいお正月を。

図左、現代物理学の最前線では、お星様などでない、理論でしか分からなかった宇宙のダークマターとやらの解明に向かっています。

一方、歴史考古学の分野では、実証的な先生は見つけたコトだけを語り、“理論”歴史考古学は無いのです。図右、近代まで米国フロリダでも豪州でも先住民による素朴な海辺・川辺の暮らしがありましたが、縄文の前の「日本祖代」の祖人の暮らしは、万年を経ていますから痕跡が残り難い上に海水面が数十mも上昇していますので、今では海底に沈みそこでの暮らしは語られませんが、無かった訳でありません。何しろ38.000年前に、フネで伊豆の海を行き来して黒耀石を求めていたことは分かっています。アメリカ北西部沿岸では、氷床が融けた時代に重しが取れて地面が逆に隆起した所があり、そういう痕跡を探る発掘が行われていますが、注目の17,000年以前のモノを見つけるのはなかなかのようです。しかし、そろそろそんな大昔のあれこれのコトに名前を付け、アイデアでいろいろ議論する“理論”歴史考古学を打ち立て、AIの時代ですから 新分野のアインシュタインの出現を促すべきです、星に願いを。Merry Christmas & Happy New Year

米国次期内務長官にハーランド氏の名が挙がっていますが、先住民Native Americanで初という紹介です。今、学界では最初のアメリカ先住民は「誰が、何処から」が、現生人類拡散史の最後の謎であり、長い間の定説であった「マンモスを追ってベーリング地峡を越え、氷河が一部融けた無氷回廊を通って本土米国へ」が覆り、北太平洋沿岸の昆布ハイウェイ沿いに舟で17,000年以前に入って来たというのが新説です。

それでもなんとなく依然としてシベリアからのイメージが強いですが、図左、米研究者の中に北海道の名を挙げる人が出ているのです。その北海道のわが祖先は、日本列島史の始まり時代の38,000年前には伊豆の海を黒耀石を求めて行き来していた「日本祖人」Proto-Japanese の子孫であり、北上して狭くなっていたとはいえ、津軽海峡を越えて3万年前には雪と寒気の北海道暮らしに適応していましたし、千島列島は食が豊かで次々に島が見えていたハワイに繋がる海でしたので、ベーリング地峡に北上できた(マンモス狩猟族が、―60度にもなるシベリアの荒地を東進で来たのなら)でしょう。いずれにしても、図右のAかBか混合か、祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoは候補であり注目です。ちなみにこの時代だと、2代目の縄文Jomonは未だですし、鎌倉時代からのアイヌAinuは全く問題外ですので、世界の一部にある誤解を正さねばなりません。アイヌ”先住”民族の国会決議も、誤解を生まぬために名称修正が必要です。そして、何よりもこれらのことを子供に教え、世界に発信しましょう。

前回の左図北上を続けた場合の最初のアメリカ人問題です。右図北西アメリカ合衆国のコロンビア川を遡ったクーパーズフェリー遺跡(16,560~15,280年前)は、「最初のアメリカ人」論議の定説を覆し、太平洋岸から入って来たという新説に導きました。

そして、発掘に当たった研究者は、図下部の英文のように、石器の類似性から
候補として 日本・北海道、あるいはその文化の影響範囲の所からの者かも知れないという見方を示しました。同僚には異論もありますので、今後の更なる蓄積を待つ必要があるにしても、サイエンス誌への発表で世界の学界の認識が生まれているのに、肝心の日本・北海道での認識は不十分であり、まして子供に教えられていません。特に、この時代となれば2代目の縄文人はムリですし、まして鎌倉時代からのアイヌは全く問題外の”先住“誤解です。米国研究者も北海道で人骨が発見されていないことを指摘していますが、かなり発見されている道内の旧石器遺跡・遺物は熊や北キツネのモノではあり得ませんから、北上を続けてベーリング地峡に至る否定されるべき要素のない、海の民系の日本祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoとその時代の状況を世界の議論の俎上に発信し、子供にもしっかり教えねばなりません。そして、この始まり時代の遺跡・遺物こそ文化予算を投じて明らかにし、保護もしていく必要があります。貴重な局部磨製石器が、オークションで3千円で売られているなどは大恥です。

次のページ

前のページ

↑トップへ