北海道の始まり史は、周辺地域での石器等の状況から、青森を基礎として海水面数10m低下で狭くなっていた津軽海峡越えの北上です。昆布ハイウェイが十勝に導き、北方領土を廻って日本一の黒耀石産地の遠軽白滝へと拡がりました。

樺太や沿海州アムール川沿いに2万年以前の氷河期最寒期LGM時代の 現生人類の 痕跡発見は有りませんので、まず青森北上の始まり時代を認識です。北からの北海道への確認されている第1波は、1.8万年前頃からの細石器文化を有した人たち(出戻り含む)です。その頃は氷河期が終わり、温暖化でマンモスの餌の草地が変わり、マンモスは消えて鹿などの中型・小型動物を狩猟する小さな細石器使用の時代となっています。そして時を経て世界最古級の土器を有する青森から帯広にも土器が伝わりました。祖代、縄文時代と本州からの流れ(3~1.3万年前)の一方で、1.8万年前頃、北から細石器文化が伝わった訳です。これまで北海道の始まりは、マンモスハンターがマンモスを追って南下し、アムール河口~樺太と陸続きの道北から入って来たと言う説明でしたが、

①青森からの北上が始まりである、②他国の例にみられる、マンモス骨等に石器傷痕がない、マンモス骨と人が扱う石器が同じ場所から出ていない、③北からの人か文化が来た痕跡は、温暖化でマンモスが消えた1.8万年前頃、しかもマンモス用でない細石器文化である、ことなどから北海道史始まりのこれまでの根本に疑問を呈するマンモスについての標題となります。まずこの始まり時代を認識し、右図表の第2の波オホーツク、第4の波アイヌなどを理解する必要があります。大陸の狩猟族や出戻り人、棲み分け、混血、追いやり、争い、いろいろあったでしょうが、民族の入れ替わりやゲルマン民族大移動のようなことはなかったというのが現在の認識です。因みに時代は下りますが九州の方に騎馬民族は来なかったと言われています。
そして、祖人北海道Proto-Japanese Hokkaidoが、次々に島が見えていた千島列島から北上を続けてベーリング地峡へ登山し下山したかのような沿岸の行動で、「最初のアメリカ人」Nativesに関わったのかが、今世界の注目なのです。

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誤解の多い北海道史、子供に世界に最新認識を発信しましょう。

約4万年前からの日本列島史は、1万件を超える旧石器遺跡の分析などにより、実は世界がうらやむ驚きの解明度合いですが、学校は殆ど教えてくれません。北部九州に家族がフネで渡海して来て、南下し沖縄へ、北上して図左の中央部の賑わいを見せました。

注目は当時の宝物の黒耀石です。なんと世界が驚く伊豆の海の行き来を3.8万年前から行っており、 良質豊富な八ヶ岳地区や箱根山麓の物などがあり、祖人小グループが遊動狩猟する、米国先住民インディアンのように環状でキャンプしたり、1mを超える陥し穴を数十も作って動物猟をする社会性を示すなど、関東甲信越は正に現代を思わせる当時の賑わいでした。野尻湖の動物キルサイトのような遺跡など、まだまだ今後の発掘による解明が期待されます。 そして図右、 狭くなっていた津軽海峡を越えて道央・道東、北方領土、道北へと沿岸を主に拡がりました。

雪と寒気の北海道に住み着いたのも昆布ハイウェイの海獣・魚介の食の豊かさとやはり遠軽白滝の日本一の黒耀石の魅力があった事も影響していた事でしょう。北海道は、少なくとも3万年前以後(道立民族博物館)青森から海峡を越えて適応を果たし、最古の石器も土器も道東の十勝地区で発見されているように、本土同様の歴史が広い地域で始まっていました。道民博は、北から1.8万年前以降、細石器の第1初の文化の波を把握していますので、3~1.8万年前頃のそれまでの1万年強の間は、本州から北上した祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoの歴史が刻まれ、その間に、千島列島は食豊かで次々に島が見えたし、「米臨海」沿岸からアメリカ新大陸に入って行った、あるいはそれに関わったかと今、世界の注目です。それは、「最初のアメリカ人」Nativesは、それまでのマンモスを追ってシベリアから内陸の無氷回廊ルートBb1を通って説ではなく、北太平洋西岸ルートACからフネで1.7万年以前に入って来たということが、近年の主流説になっているからです。そして、北海道の細石器以前の素朴な第1世代石器と第2世代細石器、北米も最古の素朴な第1世代石器と洗練された第2世代クロービス石器(1.4万年前~)と言う石器歴史の歩みの類似性があるのです。

北海道史の更なる深化と北米関連の解明が、期待されているのです。子供に教え世界に発信し、世界現生人類史の最後の謎の解明に、日・米・加・露の平和共同研究を提唱しましょう。

第1図、日本列島史の始まり祖代(約4万年前、北部九州~)の世界考古学史上の金メダル、古さで日本特有の磨製石器が、なんと3千円足らずでネットオークションに売りに出されている大恥です、年表を見てください。しかも今、その時代の祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoは、沿岸からフネでやって来たという「最初のアメリカ人」Nativesとの関りが注目なのです。

つまり、3万年前からの北海道人が、下図のように食豊かなKelp昆布 Highwayを千島列島、ベーリング海 へ北上を続けて、 沿岸からの現生人類の初渡米 問題 への関り(ベーリングに向かい ”登山”し、カナダ・アメリカ沿岸を”下山”) の可能性 で、注目されているのです。

それでは貴重な石器が軽々しく売られているのはなぜかと言うと、 下第2図、「北海道の旧石器(祖代)からオホーツク文化まで」と銘打たれた権威ある展示会が、パンフの中心はオホーツク文化遺物であり、「北からの文化の波」と言う紹介が、南方から北部九州に家族がフネで渡海し、その後の長い間の北上列島史と異なっていて誤解を生む羊頭狗肉のものなのです。

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パンフも3万年前からとする道史で、北海道中部以南から関連する北部東北・青森の遺跡紹介はたった1ケ所という異常さですし、3万年前から1.8万年前の第1の北の文化の波とする時代までの1万年間以上の歴史は無いようですから、祖代の金メダルも気にならないのでしょうか、驚きです。第1図年表の一部に過ぎない「北からのオホーツク 文化の波」を過剰に強調するのも誤解を生む印象操作です。下図のように、祖先の日本列島史は、南方から北部九州に渡海し、北上して関東甲信越で賑わいを見せ、狭くなった津軽海峡を越えて3万年前には雪と寒気の北海道暮らしに適応していたのです。そして、プーチンもいませんから食豊かな昆布ハイウェイの北上を続け、最初のアメリカ人に関っただろうと言う事です。

因みに 下図年表のように 、オホ-ツク文化同様にアイヌも鎌倉時代から和人と共存しているのを”先住民族”とドサクサの決議で誤解を与えてますので、父祖の地の歴史は全く問題だらけです。

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正しく子供に教え世界に発信し、アイヌ・ウポポイの膨大な予算を、真実の北海道史の研究及び遺跡と遺物の保護に充てましょう。

(参考)  

Mituaki Matoba

4月発売予定の『現代語で読む〝蝦夷島奇観〟』の最終校正も終わり、表紙も決定しました。今回は〝蝦夷島奇観〟から50項目を選んで紹介しました。江戸の古文献からもアイヌが先住民族ではない証拠がたくさん出てきます。 現在『続・現代語で読む〝蝦夷島奇観〟』を書いています。こちらは残り53項目を現代語で紹介します。解説や考察のために新たに読んだ文献からの発見も多く紹介したいと思います。

テキストの画像のようです

大津波の返しで海に放り出された、鳥居、オートバイ、漁船、その他さまざまなものが、北太平洋を長く漂流してカナダやアメリカに流れ着き、そういう物が大切に扱われて元に戻っています。

が、 右第1図、 万年前の祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoが、カナダ、アメリカの先住民Nativesに関っているなら、やはり海獣や魚・海藻類という食の共通性もあった北太平洋・「米臨海」沿岸沿いの「Kelp昆布ハイウェイ」から フネでの 「登山・下山」説でしょう。東京・札幌オリンピックの機会に、子供に教え、世界に発信し、日・米・加・露で、「人類の最初のアメリカ新大陸移住」の謎の解明という平和な共同研究を。

第1右下図、縄文人が食べていた蛋白物が、 30年前に C炭素N窒素の同位体分析により、北海道グループ(海獣・魚介系)と本州グループ(魚介・草食動物、植物)とで地域差があることが判明しましたが、なんとその地域差は北米でも同様であることが分かり、上図となります。

第2図、他方20年前に、Brace教授の頭骨分析で米新大陸への移住状況図が描かれ、ホントかと言われましたが世に出ています。近年、「最初のアメリカ人」Nativesに関して米関連学者の7割が、1上図南北米の新発見遺跡や海藻昆布のある食豊かな沿岸のKelp Highwayの状況から、1.7万年以前に沿岸をフネでやって来たと考えるようになっています。そこで(A) 祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoが注目されますが、これまで北海道から出ていく発想がなかったこともあり、世界は相変わらずシベリア (B)の認識が強いようです。しかし、3~1万年前の1図左下、千島列島の最長離隔は見えている77kmであり、台湾~与那国島への3万年前の航海実験(225km)から、食は豊かで寒冷もシベリア(最低―60度c)とは比較にならず、ハワイに繋がる海の沿岸であって不可能ではない事から、Aの北上進入の可能性、即ち1上図、登山下山説の研究をすべきです。「日本人は何処から」の学界の3方向(樺太・朝鮮半島・南西諸島)渡来図・閉じこもりのために 渡米発想が出て来ない殻を破り、 始り、発展、北海道進出の流れを理解し、北上継続 (プーチンはいませんでしたから) を考えるべきです。

子供に教え、世界に発信し、日・米・加・露の「最初の米大陸人類」共同研究を提案すべきであり、正にオリンピック記念にふさわしい 平和事業です。

右第2図アメリカ新大陸への現生人類の移住について、人類学の第1人者ミシガン大故Brace教授が、世界各地の千数百の頭蓋骨を見た経験から縄文人は、現代では米先住民のチェロキー族・スー族に似ていると言いました。欧州人が米新大陸に来た頃、第1図Nativeインディアンは、現代のアフリカでも見られるバンドと呼ばれる小集団の群れで、移動しながら狩猟採集の暮らしをしていました。

教授は縄文人と言われましたが、祖人Proto-Japanese( 日本列島初代人、 縄文人の先代、)という用語が広まっていなかったためであり、実は祖人から縄文人へは5千年かけて日本列島の暮らしがゆっくり変化しており、「最初のアメリカ人」の時代的には祖人の子孫と言うべきでしょう。そしてインディアンの暮らしぶりは、なんと3万年前の(日本)祖代の栃木・佐野市の遺跡の「環状キャンプ」と似ているので驚きです。また、米先住民の人物写真を見ていくと、時代を経て欧州人との混血も進み大昔とは違いますが、痕跡は有るように感じられ、エルビス・プレスリーの写真があることに驚かされます。①オーストラリアのアボリジニ、 ②比、台湾の先住民、原住民、③日本祖人(鎌倉時代からの渡道アイヌは無関係)、④アメリカのNativeインディアンなどの先住環太平洋繋がりを、しっかり子供に教え世界に発信しましょう。

2001年、ミシガン大教授チームの研究を、読売・館林記者が報じた頃は、「本当かいな」という扱いでしたが、「最初のアメリカ人Natives」問題について、米学界関係学者の7割が今や沿岸説という現状から見れば、実にポイント4点をついていた先達の驚きの素晴らしい研究分析でした。

当時も今も問題の一つは、祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoという、縄文人の先代、日本列島始まり時代の現生人類である祖先に名称がないことです。故Brace教授は、形状を分析し類似性を認識して縄文人、アイヌ、ポリネシア人系のモノと言った訳ですが、万年前の人骨を議論しているのに、桁が違うポリネシア人、鎌倉時代からのアイヌが縄文人と並んで登場で違和感があり、また、世界に誤解の元です。実際は最初のアメリカ人に関るのは、縄文人よりも早い時代の祖人Proto-Japanese(実際は土器が見つかった時16,500年前から縄文人と呼んでいるだけで連続)です。

北海道の酸性土壌で縄文前の祖代の人骨発見は期待できませんから、逆に、祖人・北海道の特徴を故Brace教授が指摘したような特徴の人とすればよいでしょう。始まりの米先住民との関りですから世界が注目です。子供に教え、世界に発信を。

Japan,Australia,Sundaland Indonesia

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English version

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It is fantastic that ancestors of Japanese and Australian Aborigine seems to get separated in Sulawesi where exist rich paleolithic remains include cave painting of boats.

The route of Modern Human’s migration are very similar to those of angel birds.

Harvard Medical School found and have been surprised by old Amazon tribes’ DNA which are only similar to those of aborigines in Sundaland area and Andamans. Is that a connection of Beringia?

右図で人類・考古学的な痕跡から日本の原郷を考察しましたが、重要な側面が標題です。

4万年前の大昔にフネで何十kmの海を家族が渡る事の知力、洞窟で動物の絵を写実的に描ける技術と描こうとする目的意志も、”原始人”イメージを払拭すべきですし、学校が祖先を原始人と教えているのは誤解を招きます。海水面が低下して陸地が増大変化していたこの時代に、図の多くの「渡海」と書いた箇所を無理だと言っている学者はいません。そもそもの洞窟絵のスラウェシ(旧セレベス)・マロスもカリマンタン(旧ボルネオ)島から動植物生息状況がすっかり異なるWallace生物の分布境界線越えの渡海になり、操舟・造舟・渡海と洞窟絵という異なる分野の知力はいずれが先かも興味を惹きます。そしてやがては、外洋漁撈、芋・根菜農耕と家畜飼育、水辺の稲作などへと重要な繋がりが生まれていきます。

そしても一つ注目するのが左図で、正にルートに符合する渡り鳥の行き来です。今よりずっと自然に関心が強く、ある意味では理解も深かった祖人は、当然着目したことでしょう。

鳥は神の使い、陸地を生み出し与えてくれるという神話を有する部族もいます。日本の八咫烏、アメリカ先住民の渡り烏、サンダーバード大鷲、ハチ鳥など、他の多くの国でも非常に大切に扱われています。鳥が来るという事は向こうに陸地があることを意味しますから、導かれ神に近づいて行ったのではと思います。このようなことも含め子供に教え、世界に伝え、諸学の研究の進展で真相を明らかにしてほしいものです。最後に右図赤丸Center?地域ですが、実は我が盟友のDhani Irwantoは、あの有名なプラトンPlatoのアトランティスAtlantisが、なんと此処に在った!と実証的な論考をものにしている地域でもあるのです(もう、余りにも出来過ぎですが)。

図左日・豪の原郷スンダランド外スラウェシ(赤丸地域))は、現世人類がおそらくフネで渡る必要があった東西動植物環境変化のwallace線を越えた所です。そのマロスMaros洞窟では手型や動物など旧石器時代の絵が有名ですが、最新のウラン年代測定で最古のモノはセレベス豚を描いたもので45,000年前と鑑定確認され、完全に欧州洞窟絵先進観を覆しました(Science Advances  13 Jan 2021)。

中図上段のように、数ケ所の洞窟で絵が発見され鑑定されており、私も図右下赤枠の舟(マロス及び右中部スラウェシ)が描かれているのを現場で見て驚かされ感じ入りました。旧石器時代の洞窟人と言えば、ひげもじゃで毛皮のパンツに槍持ってですが、舟を描くとはイメージ一新です。図左の現生人類の足取りは出アフリカから7万年前頃に原郷地域入り、海水面の低下で地形が今とすっかり違っていた地域(スンダランド、北東ア平野、パンカル海、曙海)で拡がりました。少なくとも環太平洋言語族(元日本言語学会長松本克己博士)は、北上して家族がフネで北部九州、南下して沖縄、伊豆の海では黒耀石を求めてフネで行き来、

狭かった津軽海峡を越えて3万年前には北海道の暮らしに適応(アイヌは鎌倉時代からですから問題外)、次々に島が見えた千島列島を北上して「最初のアメリカ人」に関っても何の不思議もない、日本祖人Proto-Japaneseは海の民の子孫ですから。

さて、 スラウェシ人は、 絵を描く認知力に操舟・造舟力がありました。実は、はるか時を経ても、大航海時代から現代にいたるも第1級の船乗りで有名なのです。どうもこの島に来たのは、6.9~5.9万年前とみられ、その後、東進してフネにも乗り北部豪へ、北上し家族で渡海して北部九州へ、図左、日・豪がこの地域から南北に分進したのではと考えられる、正にぴったり出来過ぎの状況なのです。原郷地域研究は科研費で日本の学者が関わり、子供に教え、世界に発信すべきこと (スラウェシは帝国海軍、戦域の司令部がありましたが) です。

図のように現生人類の出アフリカ後の遺跡の研究が進んでいます。明治維新後の先達は、当時の限られた科学知識ながら自分たちの原郷は南方だと感じていましたのに、現下の日本の原郷地域の研究参加は不十分ですので、#は何だと思われるかもしれませんが、強い期待を込めています (明治維新後の研究先達が泣いてます) 。

現代ではDNA調査と考古学研究から、アフリカが現生人類誕生の地であり、出アフリカから5大陸に拡がったと理解されています。そして、出アフリカから東進し、スンダランド地域で、①台湾の方に北上して、北東ア平野沿岸から家族がフネで北部九州に約4万年前に達した我が祖先と、②東進を続けた後、最新研究ではフネ(筏)による最古の渡海でパプアに達し南下して6.5~5万年前にオーストラリアに至った人々(アボリジニ)があり、過半が沈んだスンダランド地域と共に、北上したラオス、比、ベトナム、中国南部、台湾などスンダランド・パンカル海地域で痕跡が発見されています。出アフリカの現生人類裸族が、緯度や環境が近いスンダランドから、豪に速い進度で達したと受け止められています。さて、日本列島全域に進出した遺跡・遺物の状況から、当時の渡海力で沖縄本島への慶良間ギャップを越え南九州に至ったのではなく、海水面低下で出現していた北東ア平野沿岸を北上し、曙海沿岸を時計回りに移住したとみられます。

また、北方アムール川方面からの移住は1万数千年後の違った話で、3万年前には日本祖人Proto-Japanese が進出していた北海道から、むしろ祖人が樺太方面へ進出したり出戻りした事もあったでしょう。環境に合わせた人間は一朝一夕で変わるものではなく、長い期間の南方からのこの北上史の基本を踏まえずに、日本史の真の理解は有り得ず、また、地域との経済活動や国際情勢の理解も不十分なものとなります。まして、今、沿岸からフネで入って来たと認識されている「最初のアメリカ人Natives」について、祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoの関りが注目されているのです。

なお、鎌倉時代からのアイヌは全く無縁ですので、世界の誤解を避けるため、「先住民族」の呼称を外すべきです。子供に教え、世界に発信しましょう。

昨年大晦日、オーストラリアが国歌の一語を変えて世界を驚かせました。国歌は1984年に、明治維新頃からの歌をそれまでの英国歌に替えて正式に制定していました。今回の修正は、先住民アボリジニと後に渡来した欧州などからの人々との一体を認識し強調するモノであり、渡来youngから一体oneへの修正ですが、youngからoldへの修正も意味します。アボリジニの始まりは、途中は現生人類の世界で初の舟(筏)の使用であり、豪に来たのは今や発掘遺跡から6.5~5万年前頃ということで議論されています。

現生人類(アジア系)は出アフリカの東進後にスンダランドSundaland地域で、アボリジニは東進南下し、一方、沿岸を北上して渡海し北部九州から日本列島の沖縄から北海道まで拡がった日本祖人Proto-Japanese とは、実は南北に分かれた親戚であることが理解できます。因みに先住民族とされてるアイヌは鎌倉時代からであり、全く関係ありませんので、世界の誤解を正すべく政治的な先住民族の呼称は外すべきです。オーストラリアの修正は、「立ち上がれ!奴隷となることを望まぬ人びとよ!我らが血肉で築こう新たな長城を!」と歌う地域の問題国人に、自分たちこそが国歌に反して先住民を奴隷にしてないかという、オーストラリアの最近の政治主張の意味が込められているようにも感じられます。子供に教え、世界に発信しましょう。

http://www.sunda-wind.net/news/9127

現生人類がアフリカで誕生し、どのように世界に拡がって行ったのか、引き続きいろいろな研究成果が出て来ています。そして、日本人の原郷は、やはり図の樹林草原系の南方Aであって、砂漠系の西方Bとは思われません。図の植生図は、 最終氷河期 の最も寒い時代のものですので、より程度が厳しくない4~3万年前とは若干異なりますが、各地域の比較の特色は表れています。

アフリカで30~20万年前に新人が誕生し、着実に生活文化を進化発展させました。欧州で言われたような5~4万年前に、現生人類はビッグバンのように認知力が進化し石器の改善や洞窟絵など画期的な進化が生じたというものではありません。そのアフリカの注目すべき痕跡は、19万年前の河川・湖沼、16年前の海岸というように、サルや原人・旧人とはっきり異なる水辺での魚貝食で、拡がった多様な食域は気候変動に対応でき、脳にもよい効果を及ぼしました。そして出アフリカ後、海岸地域を速い進度で豪州にまで達し、東南アジア地域では狩猟もさることながら、フネで外来魚を取って食し、農耕の最古と言われてきた中東より2万数千年も早く、漁撈暮らしの地で根分けすればいい簡単なイモ・根菜の農耕を始め、鶏・ブタの家畜飼育を伴い、遂には淡水漁撈と水田稲作へと進化(静岡の登呂遺跡の水田遺構も同様)させていった(島泰三 説)ようです。認知力の面でも、約4万年前の最古の洞窟手型や絵もインドネシア地域で豊富に発見されており、欧州の独壇場と思われていたことを覆しています。

即ち最初の農耕問題からも、これまで以上に水辺の漁撈の重要性の認識が高まっていて、そのA地域から北上して約4万年前に北部九州に家族がフネで渡海し、日本祖人Proto-Japaneseがまず沖縄から北海道にまで拡がって、列島史が始まった訳です。縄文時代と呼ばれるこの言わば下地・基層を踏まえないために古来諸説の混迷があります。騎馬民族は来なかった、出戻りを含めた大陸からの五月雨の人を北から西から加えながら列島で、島国で日本人・日本語は作られました。従って近隣でさえ、探してもこれだと言うルーツは見つからない事情なのです。   

 他方、今や米国の多くの人類・考古学者 (7割) が、「最初のアメリカ人Natives」は、1.7万年以前にフネでベリンジア・北太平洋沿岸の昆布ハイウェイから入って来て、速い進度で太平洋沿岸を南米南端まで進出したと言う沿岸(水辺)ルート説に注目しています。これらのことから、当然にして、日本学界がこれまで殆ど触れてこなかった北海道からの北上の可能性が、世界的に注目されて来ているのです。

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カナダ太平洋岸の先住民の一部は漁撈・採集の民の痕跡を残し、南米では海藻を求める沿岸遠隔のアンデス高地族、マゼランに万年前のままと感じさせた漁撈採集族、アマゾン古部族のDNAがA地域に類似などのことが、環太平洋言語痕跡(元日本言学会長 松本克己博士)とともに環太平洋の原郷を裏付けます。そして「最初のアメリカ人」に関し、シベリア方面からとともに、今や沿岸ルート上の北海道から千島列島そしてアメリカ新大陸への移住の可能性を全く教えていない事は問題です。まずは最新状況を子供に教え世界に発信しましょう。

左図は、やっと北・西・南からという誤りの3方向渡来図でなく、また、アメリカ新大陸への移住は沿岸ルート新説となっていて評価します。問題は、肝心の日本へは赤丸B北京西方から朝鮮半島経由、更に原郷は中央アジアという、考古学・言語学者には驚きの酷い図になっています。

約4万年前から始まった列島史のはっきり人骨である右図沖縄の祖人・石垣島は2.7万年前ですが、誰もが南方系Aと認識しています。他方、欧米学者も大陸内のしっかりした遺跡遺物として特性を認めるバイカル湖地域は2.4万年前のものですが、南方系では、インドネシア西スマトラ・フィリピン7万級、ラオス6万、台湾5万、豪州6~5万年前の遺跡のみならず、アンダマン諸島・マレー半島などには今も、出アフリカの古い民族が存在し、スリランカでは生活が難しいとみられていた熱帯雨林中で4万数千年前の遺跡が、インドに至っては8万年前のものが発見され、充実はっきりの南方であり、アジア史の基本は現生人類の北上の足跡なのです。これらの事から、①南方の“インマレイド”(古モンゴロイド)人種が北上(日本列島にも)し、1~2万年前の新しい時代に降雪寒冷地への適応を遂げて「モンゴロイド」となり、逆に大きな影響力でモンゴロイドが東南アジアにまで南下したのが基本です。欧米学者がこれを新・旧モンゴロイドと呼んだ区別の仕方も誤解の元です。つまり左図もやはり3方向渡来図と同じで、新しいモンゴロイドの南下を大書してしまった新旧混在の誤りなのです。そして、“渡来弥生人”は実は縄文人の子孫だった、日本海側の“渡来半島人”は、実は北九州縄文人の子孫の移住だった、騎馬民族は来なかったし大量の渡来民族は来ず、列島内の勢力争いや環境などの地域差であるという最新の研究成果が反映されていません。誤り理由の一つは、右図始まり時代の「北東ア平野」、「曙海」、海水面低下などが正しく認識されていないことと、始まりの「祖人Proto-Japanese」という最初の祖先を示す用語が認識されていないことです。

無論、縄文人は2代目ですから「どこから」は愚問の日本列島人ですし、鎌倉時代からの少数渡来アイヌAinuは本議論には全く関わりありません。因みに言語の面でも、日本人は、環太平洋語族(元日本言語学会長:松本克己博士)であり、決して大陸内陸系ではありません。

子供に教え世界の誤解を正すべく発信しましょう。

Science Media Centre AUS

米国鳥の白頭鷲の飛来が国後に次ぎ道東・野付湾でも確認と話題です。同鳥は、北米大陸アラスカなど)の沿岸部に広範囲に分布し、そもそも先住民インディアンが聖なる生き物と見なす文化で大切にされています。

世界でも空飛ぶ鳥は神の使いとして尊重され、陸地を生む神話まであります。白頭鷲は渡りではなく迷いのようですが、3万年前からの父祖の地北海道へは渡り鳥も多く、生まれながらの体内の方位コンパス・プログラムを有しているようで、磁気方位感知、星太陽コンパスに風雲臭いや気流を感じ地上の目印を利用してと聞けば、正に驚異の、流石に神の使いと感心します。問題は、学校が何も教えてくれませんが、九州へ海峡を渡り伊豆の海を行き来し陥し穴猟をして自然を深く理解していた祖人が北海道に渡り暮らしに適応した子孫である祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoは、当然に鳥の渡りに気付いていた筈です。鳥が来れば向こうの陸地の存在に不安なく(千島列島は次々に見えました)、 神・ お日様に向かう方向から使いも来てますから、祖人は食が豊かな沿岸の昆布ハイウェイKelp Highway の北上を続けたでしょう。

つまり、「最初のアメリカ人」に関って何の不思議もないのです。子供に教え世界に発信しましょう。

 

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