学界の列島1万件を超える祖代(旧石器)遺跡の発掘と分析は、地域断トツの充実です。

重要な東部アジアからアメリカ新大陸への世界先史始まり、その中でA:地域最古の石垣島祖人骨の復元は、B:約4万年前に家族が北部九州に渡海し、南下して五島~九州西岸~沖縄へと曙海東岸地域を移住したと考えられる事から当時の南方系列島祖人の代表例として、北京郊外の田園洞人骨(愛知県伊川津縄文人とDNA類縁)が河川食であったことと共に、モンゴロイドではなかった「北インマレイド」NIMを示す意義深いモノです。C:3.8万年前から伊豆の海を舟で越えて神津・恩馳島に黒耀石を採取に「生業渡海」した行き来は意義深く、新聞でその古さと海越えの白紙距離から謎と報道されましたが、①そもそも始まりが対馬に30-40kmの家族越え、②当時は海水面の数10m低下で島陸地が拡大しており、島の砂浜では舟を引いて歩けば、実質越えは最大25km程度で対馬渡り以下、しかも屈強な男だけ。③黒潮は当時四国沖で去っていたので漕ぎも楽、謎ではアリマセン。縄文時代には、東伊豆・河津町に黒耀石加工作業の工房までありました。この切れ味鋭い黒耀石(同様のサヌカイト石)へのこだわりは、列島中で見られ、D:国宝指定答申された遠軽町白滝遺跡群の物は樺太や山形でも発見され、先頃、帯広遺跡では大量に発見されてニュースとなりました。長野も大産地で、石器については3.7万年前の多様な物が発掘されています。

世界に貢献すべく、 また、「日本人、何処から何処へ」の解明のためにも 東南アジア、南米などに研究者を派遣すべきです。状況を生徒・学生に教え、世界に発信を。

図上中、米ニューメキシコWhite Sandsの足跡の衝撃は、単にアメリカ新大陸史を数千年遡らせるだけではないです。ジンギスカンに肝を冷やした欧米先生が、大雑把に「モンゴロイド」の語により一色で塗りつぶした、 始まり時代の歴史認識を変えるモノなのです。

上図地域の①始まり祖史の第1、第2の時代段階的で、②南北の空間的な拡がりの2構造が見えて来ただけでなく、③モンゴロイド化の歴史的な意義やそれにおさまらずに軽視・放置されて来た中・南米祖史に光です。それは、2.3万年前の足跡にまで至った歴史、更に拡がった歴史という訳であり、それらの中で東洋史、日本史も始まり時代の状況を人類史に位置付けて認識できるようになる、史観のたたき台が見えてきました。7-4-2説、図左、出アフリカ後7万年前のモンゴロイドと称すべきではないインマレイド、緯度を北上した4万年前の(北部九州への渡海の民、北京郊外の田園洞の河川食人、2.7万年前の石垣島祖人とあまり変わらないような人々)北インマレイドNIM(North-InMalaid)、東進してシベリアトアラスカを繋ぐベリンジアBeringiaから大氷床Ice Sheetを通過(沿岸及び内陸の無氷回廊Ice Free Corridor?)し、ニューメキシコWSに足跡です。他方、図右、東部アジアでは2万年前の北の寒・風・雪の厳しい環境に適応したモンゴロイド化とその拡がりが、アメリカ新大陸では中南米への南下拡がりというわけで、図写真の人々全てが祖史に位置付けられて認識できます。そして重要な事は、よく見ればモンゴロイドの方が祖史の一コマなのです。因みに最近賑やかな「インド・太平洋構想」という論議、万年前の話ですか? ともかく教室で祖史・祖代・祖人について東部アジア・アメリカ新大陸史をしっかり生徒・学生に教え、国際共同研究で実証論議を深化させましょう。

一昨年9月末に発表のニューメキシコ2.3万年前の足跡の衝撃(図右上)は、1年以上経ってもまだ定説のシベリア系という事で漠然と放置され、大きく時代を遡らせたにも拘らず、Who?に全く説が出ていません。「足跡人」は現生人類の最後の拡散・移住のピースを埋めるもので、この解明は他にも影響する大きな問題であり重要です。結論的に、下図の写真のような関係の人々の世界(処女地の可能性の中南米を分かり易く参考付加)だったという事で、標題となります。

モンゴロイド(米W.Howellsのモンゴロイド起源説から解釈)と白系人(8,000年前~)の登場しない このような図は、巷間・教室に全く現れず軽視されていますが、長い時代でしたのでその影響は実は大きく、南北アメリカ大陸の広域の言語の骨幹の共通性説(アメリンド大語族、環太平洋言語圏)、島国日本の今に至る特異・孤立的な特性説や東南アジア・揺り籠地域のその後のモンゴロイド化の大きさなどがみられます。人の脳は建て増しで来ましたので、この長い始まり期間の暮らしぶりへの現代への影響は基盤としてあるでしょう。さて、 ニューメキシコで2.3万年前に生活という事は、北の陸橋土ベリンジアに2.5万年以前、すると人跡ある東部シベリア根拠地ヤクーツクや北海道を3万年前頃に出発か、となるでしょう。その年代だと未だ人類がモンゴロイド化、白系人化していない、居無い世界だったと導かれます。欧米先生が図左下、①南方の〝揺り籠″地域の「インマレイド」を大ざっぱに広義(古)モンゴロイドと称したことから議論が分かり難くなっています。出アフリカの黒人が東進し、沿岸・熱帯雨林の暮らし(計画性や技術的な工夫が必要―-豪Tanya Smith)に適応し変化したインマレイドと、寒さ・吹きさらしの強風・降雪の厳しい環境に適応して、はっきり身体変化させたモンゴロイドとは全く違います。このインマレイドが引き続き東進・渡海し豪州へ。方向変換して緯度を北上(大陸河川を沿岸から遡上)し、3万年の時間をかけて奇しくも北部九州への渡海・祖人の列島拡がりと北京近郊洞窟での田園洞人の河川食暮らしとなりました。この渡海拡がりと河川食は、共に沿岸民でしょう。4万年前の北京郊外の田園洞人が、大陸の狩猟人ではなく沿岸民の遡上痕跡( 東シナ海の西部が無数の河川の「北東亜平野」であったこの時代) であったと考えられ、北部九州祖人とどこかの時点で枝分かれした類縁である「北上インマレイド」NIMであったことは重要です。NIMは、沖縄・石垣島祖人(2.7万年前)のようにスンダランド地域の写真からは変化していますが、南方系と認識されています。この事から、先頃、国宝指定答申のなされた祖代の白滝遺跡人は、図のようなイメージとなり大人も子供も「へ~?!」というのでは。

問題は③シベリア・バイカル湖西岸域のマリ(ル)タ遺跡人(幼児)で、歯分析で有名な米人類学者Christy G. Turner II (1933 – 2013)が「欧州系である」としたことが世界的ですが、日本学者の認識は(北上の)アジア系で異論を表明しています。も一つは、出アフリカから北上した正にエックスX(出アフリカ人の変化形だが、モンゴロイド、白系ではない、沿岸系とも一応の類縁性)で、古い石器痕跡などが報告されていますが、イメージを描いたものなどはアリマセンので、図のような混成表現としました。結局、➃最初のアメリカ人(第1波)は沿岸系と内陸系が考えられますが、北上インマレイドNIM主+Xが候補ということになるでしょう。そして、沿岸or#1(初期)無氷回廊を南下です。従って、「足跡人」イメージは、その独自変化形ですが、モンゴロイドと白系は含まれないことが、世界の誤解を正す重要な事なのです。そして痕跡の中米オルメカ人(ハワイ人より古い)、南米の1.2万年前の女性人骨ルチアも理解でき、また、北米から南米への拡がりは欧米先生の言われた超特急などではなく数千年を要した常識の線で理解されます。更に第1波後に、氷河期が終わって北米の「無氷回廊」が開通し進入して来た第2波までの数千年~万年の期間を、第1波の人々は薄く広く沿岸・河川沿いを主に拡がり、独特の変化も生じた事でしょう。

このような研究は、月にロケットが飛んでも 日々のニュースのように 戦争は絶えず、 人間はあまり変わっていませんので、道具が進化しただけ危険が増していると言えるでしょう。始まり時代を軽視しては、今の問題の多い国際社会の良い処方箋は出ないのでは。 研究の意義は、あまり変わらない人間に「現生人類は皆親戚」を改めて想起させ、 (2代目)「縄文人は何処から」の愚問(列島NIMの子孫) を無くし、また、日本史は室町からで十分という傲慢な人々、この北海道・白滝祖人の子孫を消してしまう有害な下図中「北海道白抜き図」とする誤った人々の認識を正すモノなのです。

東洋史の基本構造は、インマレイドが北上(NIM化)、西方Xが加わり、モンゴロイド化し南下・東西進したものです。モンゴロイド化が始まり、どのように拡がっていったのか、その影響がどうかは、特にアジア・アメリカ史の大きな課題です。 先ずは、生徒・学生に教え、 教室で写真の人々に光を、 国際共同研究の推進に予算を、です。

人類史の百貨店、アジアの揺り籠におけるあのジャワ原人発見(蘭Dr.Dubois)の隣のスマトラ島(当時は陸続き)に、豪Tanya Smith教授は、デュボアが一旦は発掘したものの「原人」は見つからずあきらめた地に光を当てました。

新旧の発見遺物に加え他の新人や動物及び洞窟の鍾乳石など、種々のサンプルを現代的な分析法と統計処理により、年代を明らかにしました。教授は、人類が①島の沿岸から高地(Lida Ajer 洞窟)に、②複雑な計画性や暮らしの技術的な発明を要する熱帯雨林での暮らしに適応した、新人の認知力に注目しています。オーストラリアへ筏・舟で90kmを渡ったことも、北部九州に約4万年前に30km以上を渡海し、伊豆の海で黒耀石を求めて行き来(3.8万年前)し、長野の高地に多様な石器群を残した(3.7万年前)ことも、津軽海峡を越えて北海道の暮らしに適応(3.5万年前後)して、その後、国宝の「白滝(祖代)遺跡群」を残したことも、現生人類・新人の歩みを考えれば不思議ではないのです。但し、インマレイドが赤道付近の暮らしから緯度を北上して九州に至るのに、白紙的に3万年という長い期間を要していますが、まあ、トバ大噴火のボトルネックの人口減少を経験した南方人ですからこれも理解できます。

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さて、この重要な揺り籠における新人調査に対する日本の予算努力は極めて不十分であり、納税者として残念です。生徒・学生に教え、将来に期待です。

欧米先生は誤解し、研究者はアタマ抱え、だから学校は教えない。しかしDNA分析から現生人類は全てアフリカ・出アフリカ人説ですから、「最初のアメリカ人」も各国史も、始まりはそこからです。

標題のとおり、「アジアからモンゴロイドが来た」は大きな誤りであり、寒風雪に適応し身体変化したモンゴロイドは、未だ登場していない(日本では祖人Proto-Japaneseであり、縄文Jomon、アイヌAinuは大誤解)のです。図の通り、南方インマレイドも豪アボリジニも縄文前の初代である祖人も南米ルチアも、始まり時代は容貌もまあ似たようなものなのです。問題は定説とする「シベリアから来た」と言うなら、内陸系Xはどのようなイメージなのかが求められているのです。ネアンデタール・デニソワ旧人と現生人祖先の交雑問題もさることながら、Xのイメージが明らかになれば、人類史の重要なピースが埋まり理解が大きく進みます。いずれにしても沿岸系と内陸系の区分認識とする本図が、論議すべき基本でしょう。例えば言語(アメリンド大語族・環太平洋語族説)や考古学研究も、DNA分析の史的な解釈なども基本を踏まえ、旧説にも新たな光を当てて検討を行いましょう。内陸シベリア定説に対しては、言語学的には異論もあります。先ずは若い生徒・学生に教えて、将来の発展を期待しましょう。

図右2.3-2.1万年前の米ニューメキシコWhite Sandsの足跡、その年代発表に学界の大きな疑念表明は無いようです。認めるならば、最も重要な事は、①当時モンゴロイドはいなかったのではという事です。

出アフリカの黒人が北上して白人になったのは数千年前と言われますが、では寒気と風雪でモンゴロイド化したのはいつか、北のベリンジアBeringiaへ入って行った3-2.5万年以前ではおそらくなかったでしょう、そうなればニューメキシコWS足跡は、黒人か東進した南方「インマレイド」系と考えるべきで、痕跡は南米ブラジルのルチアにあると考えるべきなのです。そこで日本史、2.7万年前の石垣島祖人(Sojin、Proto-Japanese)ですが、顔復元で南方「インマレイド」系であり、未だモンゴロイド化していませんからルチアと類縁と言えます。伊豆(3.8万年前~)の祖人は造舟・操舟力を、長野(3.7万年前~)では高地の暮らしと多様な石器製作・使用を、また、三島・三浦半島における1m級の多数の陥し穴で猟をする社会性を示し、勿論、人々が言語コミュニケーション力を有していたと考えられ、もはや原始人ではアリマセン。列島中央部は賑わいを見せ、国宝指定答申の白滝(祖代)遺跡群の充実、先頃発見された1.5万年前の帯広の黒耀石を使用した大量の石器などが列島中の繋がりをもってこの事を示しています。そして、北海道からさらに北上を続けなかった理由は見当たりませんから、はっきり最初のアメリカ人候補です。

実は、祖代は縄文まで約2.4万年間の長きにわたり日本史の基盤を形成し、静岡・浜北祖人骨は縄文人への繋がりをはっきり示していて断絶はアリマセン。世界の人類史にとってよく知られていない日本史は研究すべき補助線ですし、日本史にとって、米WS足跡や南米ルチアは、研究すべき重要な痕跡なのです。世界に発信し、教室にこれらの話を導入すべきであり、国際共同研究の推進を。学校は、周回遅れです。

欧米先生が推す定説・ユーラシア「内陸チーム」は強敵ですが、昨年9月の衝撃の米ニューメキシコ2.3万年前の「足跡」発見報告で、まだまだ分かりません。

ホントに出アフリカ黒人が、氷河期の東部シベリアを早く移住したのか? それとも出アフリカ後に東進し、印・スンダランド地域で変化した「インマレイド」が北上して、約4万年前に北部九州に渡海し列島に拡がった(日本)祖人Sojin「沿岸チーム」なのでは。祖人は北海道で止まる理由もなく、「昆布ハイウェイ Kelp Highway」を次々に島の見えた千島列島Chishimaに、「道東ゲートウェイ」から北上を継続した事でしょう。昨年は、北海道遠軽町の白滝Shirataki(祖代)遺跡が国宝指定の答申がなされ、帯広では1.5万年前の黒耀石がザクザク出土した暮らしの発見で後押ししています。その痕跡は、図中上北千島における石器人的な暮らしの「遊動海民」、北千島Kitachishima-留頓(ルートンRouton)コロボックル(アイヌ伝説)に。図右下ブラジルの1.2万年前頃の女性人骨「ルチアLuzia]に、祖人(沖縄石垣島~北海道)Proto-Japaneseが似てる? いよいよ2023年には、祖人ウサギはアメリカ新大陸に行けるのか。学界が軽視している南米、日本に光が。2023年、今年は北海道から兎がアメリカ新大陸に跳ぶか、 メッシ・ネイマールも応援? 熱い論議に注目。

Happy New Year

Who were the First Americans?

Luzia in Brazil and Sojin(Proto-Japanese, not Jomon, Ainu) should be paid attention to the human history. Footprints in New Mexico indicates that they were not Mongoloid in 23,000 BP, but Inmalaid type.

図右衝撃の2.3万年前の米国ニューメキシコの少年・こどもの足跡、また、 図下 蔵入りの米ハーヴァード医科大の遠隔DNA類縁の謎は、「最初のアメリカ人」に関して依然として持ち越しです。

しかし、これらの問題解明の参考となる痕跡を探すなら、南米の進入第1波の子孫である女性人骨の「ルチア」、そして日本列島の石垣島祖人と石器時代的な暮らしを残していた北千島の遊動海民である留頓コロボックルは、注目されるべきです。実は欧米学者は依然としてシベリア・ハンター説が主流ですが、上記2問題ヘの適用となると明らかに疑問があります。むしろ、西太平洋沿岸種族の北上説にムリがありません。それは、欧米から2022総括の謎解き説明が出て来ていない事にも表れています。これまで余り目が向けられていなかった南米、日本に注目すべきなのです。石垣島祖人を、新旧(アフリカ的)のルチア復元像と並べると中を取り持つような感じです。

2022年は、ロシアのウクライナに対する侵略、コロナの猛威や近隣のアブナイ軍事威圧、ウィグル民族に対する人権侵害の公開、北海道百年記念塔解体などの暗い話題の中、サッカーのワールドカップで大盛り上がり。

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優勝アルゼンチン・メッシ、活躍のブラジル・ネイマールが、図右昨年9月の米足跡(2.3-2.1万年前、ニューメキシコWhiteSanda)によって熱い論議中の世界人類史の謎「最初のアメリカ人」問題で、進入第1波系ブラジル「ルチア」に光!答えはホントにシベリア・ハンターなのか? 他方、北海道遠軽町の白滝祖代遺跡群の国宝指定答申、帯広での1.5万年前黒耀石の大量発見は、ゲートウェイの道東祖人Proto-Japanese北上論を後押し、ワールドカップ日本チームの活躍も相まって、それらは図中北千島の石器人痕跡を残す遊動海民である「留頓ルートン」コロボックル( アイヌ伝承。 鳥居龍蔵が明治32年の現地調査結果に対する学界・世間の誤解認識を大正6年に訂正し、余程古い第1アイヌと指摘)に温故知新の光!速やかに北千島・後の色丹における留頓痕跡を示す北海道大学・馬場コレクション等を公開し、生徒・学生に、世界に発信を。日本参加の国際共同研究の促進を。

2022年は、大盛り上がりのサッカーワールドカップ、アルゼンチン・メッシの優勝でしたが、人類史の方は、昨年9月末発見の2.3-2.1万年前の米ニューメキシコWhite Sandsの足跡は「誰?」、が依然論議中で年越しです。

しかし、衝撃の古さのニューメキシコ足跡を踏まえて考えてみれば、あの南米女性人骨Luziaは、渡米第1波に繋がる重要なもので注目されます。問題は、彼女は欧米学界の言うシベリア・ハンターの子孫の顔だろうかという事で、ポリネシアやアフリカ系の声も上がり、沖縄・石垣島祖人Proto-Japaneseの方がシベリア系より近いのではと思えます。メッシやネイマールは、祖代史にも関わる重要な事に光を当てたような2022年です。

 子供に大切なのは、国柄の歴史認識というケーキ。今、世界史界が注目する北海道史、北千島の留頓ルートンの生業痕跡である北海道大学・馬場コレクション等の貴重な資料を世界に、生徒・学生に開放を!

北海道史2022 左図 白滝遺跡が国宝に、帯広で黒耀石(1.5万年前)がざくざく! 道東ゲートウェイへの北上は、仙台系か、北陸系か、青森で合体の陸奥系か。「最初のアメリカ人」問題で、優勝アルゼンチンの南米先住民DNAに注目。関連で、右図 北千島の留頓・ルートンにも注目が。#百年記念塔歴史を学ぼう守ろう

注目の道東ゲートウェイ関連では、白滝遺跡群が国宝指定答申され、帯広1.5万年前遺跡で黒耀石がたくさん発見されました。

右図人類史では、最後の謎であるアメリカ新大陸に「誰が、いつ、どのように」について依然論議中ですが、サッカーでアルゼンチン・メッシの優勝やブラジル・ネイマールの活躍で、進入第1波南米先住民の遺跡・DNAの解明が重要であることを改めて気づかされました。これに北海道祖人が進入関わり候補であることから、左図、注目の道東ゲートウェイへ「誰が、どこから」が問題となります。約4万年前に北部九州に渡海し、拡がった状況から道東へは、①仙台系(当時は氷河期で海獣がいたので北海道の暮らしの予行が出来ていた)か、②北陸系(帯広遺跡と似ていると言う研究者が)か、青森で融合した後の③陸奥系かとなり、実は今は目立たないですが大間ルートは有り得ました。いずれにしても、世界では最初の航海の痕跡として、オーストラリアへはどのルートで行ったのか問題にされ、諸条件を分析したところそれまでの南ルートではなく北ルートであると言う論文が出ました。その後、いや、やはり南ルートだと言う意見も出ているようです。いずれにしても、日本の教室は、日本始まり時代のこのような問題について全く論じていないのは、学問的にも教育的にも周回遅れです。それによって、新たな捜索が行われたり、日陰であった痕跡に光が当たったりしますし、世界の南米問題にもかなりの蓄積があります。生徒・学生に教え、将来の解明を期待すべきです。

図左、昨年発表の米ニューメキシコの足跡衝撃で、論議継続です。アジア南方北上ルートの日本では、北海道遠軽町・白滝遺跡群の「国宝」指定答申があり、帯広では大量の黒耀石(15,000年前、道東産)が発掘される素晴らしいニュースでした。

北海道祖人(Sojin、Proto-Japanese、列島初代で縄文人Jomonの先代)は、最初のアメリカ人問題の参加候補であり、図の赤点線のようにシベリア・ハンターの一辺倒説は揺らいでいます。他方、世界中が湧いたサッカー・ワールドカップ、優勝の南米アルゼンチン・メッシ、活躍のブラジル・ネイマールですが、実はそれら地域(中の特に陸の孤島的)の先住民のDNA分析にも光が当たり、北米の中・東部には見られない母系ミトコンドリアの古いハプログループDが残る進入第1波で、進入の3波説やルートAorBと共にDNA面から日本とも関わりがありそうなコト(縄文人mt-D11%、進入参加候補の祖人との連続性ー東邦大学等令和3年6月)が注目なのです。来年2023年は、引き続きこれら課題の解明、諸説論議の活発化が期待され予想もされる状況です。我が国も積極的に参加し、国際共同研究を推進すべきです。 #百年記念塔、先人歴史を学ぼう守ろう!

日本に多いDNA母系のmt-Dが北・中米で見つからないため、最初のアメリカ人論議で日本人が、mt-Dが軽視されているのは大きな問題です。

南米への人類・最初のアメリカ人の移住は、豪州でもグリーンランドでもアフリカから直接でもなく、北米・中米からの南下(現代考古学の認識)です。図右、南米の希望の大地(藤井正夫)とも言われる陸の孤島的な南端パタゴニアに古いミトコンドリアD型が日本と同じように多く発見されていますが、南下して来た途中の北・中米には殆ど残存していません。他型が充満している所(北・中米)を、mt-Dが後から来てすり抜けて、あるいは南米で突然急激に拡がったとは考えられませんから北・中米では、居たけれども①一緒の仲間の中で、又は②後から来たmt-Dをあまり・全く含まない第2波に押されて消えて行ったなどが考えられ、mt-Dは「最初に」南米まで拡がった第1波であり、残存地を見れば陸の孤島的なためであったと考えられる事は、ユーラシア大陸に近い島国の日本と置かれた共通性があるのです。このことは重要で、後続の第2波、エスキモー・アレウトの第3波などの「最初のアメリカ人」構成の仮説に光を与えます。

そして日本列島の要素に注目すれば、印アンダマン諸島―南米のアンデス・パタゴニア・アマゾンという太平洋を隔てた①遠DNAの関係性が 痕跡の DNA分析から実証的に導かれ、人類史の謎である最初のアメリカ人の②時代を異にする3波の進入、アメリンド大語族などの3語圏という大区分の新・復活の仮説がムリなく理解できる事が重要 (北米大氷床の進入ルートがユーコン川沿いか北太平洋沿岸かは、熱い論議中) なのです。この流れの中の痕跡として、鳥居龍蔵が深く研究した北千島のコロボックル、遊動海民の留頓・ルートンは注目で、環境が似ているからと言えばそれまでですが、南米パタゴニアやペルー沿岸民(ミイラ人骨からの分析:篠田謙一 )の海獣を含む沿海食との共通性が民俗調査などで明らかになっています。 人類史におけるmt-D が、北・中米で 見つからない事こそが重要、これはミステリーを解く一つの原則ですから、生徒・学生に教え、世界に発信、国際共同研究で更なる深化を。 南米、北海道・千島への人類史探求の光ですが、この事は、日本人祖先の研究に関わりが大きいモノです。 始まりを理解せずして、その後の研究理解はアリエマセンので。

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図A南極から2千kmの南米南端へ来たマゼラン一行が毛布を使う寒さなのに、フェゴ島のヤーガン族が半裸・肩ショールなのにびっくり。どこから?誰?と今も謎の先住部族ですが、伝統の籠や銛・もり、マゼランたちが注目した焚火などは、縄文Jomonを思わせるモノです。

図B北千島人「ルートン」は、明治32年に現地調査した鳥居龍蔵が、本道第2アイヌより余程古い石器時代的な要素を留める遊動海民(流木で造られた舟で広域を行動)の暮らしだと紹介しました。調査直後の重要なコロボックル論争で否定的事象を報告しましたが、実は、よく検討すれば否定されたコロボックル(恩師である坪井東京帝大教授のコロボックル)説が正しいと発表(大正6年、認識訂正)していますが、今の学界は最初の否定報告を引きずったままのような無視で問題です。ルートンは、広域の北の海で行動し、かつてはカムチャッカ半島にも拡がっていて、カムチャダールの進出に伴い押されて後退したものとみられ、北海道祖人―縄文人の子孫である事と共に、北上していた痕跡と考えられますので重要です。図Cは、Harvard医科大のDNA調査で発見されたアマゾン古部族とアンダマン種族・豪アボリジニの不思議な類縁で、何故かは今もって説明されていません。実は北米と南米は、言語学的には先住の万年の大昔から共通性が指摘されていますので、ヤーガン族や高地アンデス、アマゾン奥地の研究などは痕跡探しに重要です。昨年の米ニューメキシコWhite Sandsにおける2.3万年前の足跡発見報告で、これまで多少の欠陥が指摘されたり謎だとして放置されている説や問題に光が当たって来ており、広い範囲の総合的な国際研究が求められている時代なのです。

日本人の祖先に関わる問題でもあり、始まりの理解なくしてその後の正しい歴史の認識には至り得ませんから、生徒・学生に教え、国際研究に学界が積極的に関わるべき課題なのです。

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