右図Timesは、1.6万年前の遺跡から、『「最初の定住アメリカ人」はアジアの舟乗りだった』を見出しにしました。
その後、メキシコで3万年前の遺跡が学者の議論に、遂に先般、石器などと違い「少年たちや動物の足跡」、植物種子が2.3万年前と米国専門家・大学チームが発表し科学誌が報じましたが、長い間の「シベリア狩猟族がベリンジアから来た」イメージから、メディアはもとより、40を超えるyoutube動画も一切が、その祖先を語っていません。本来は、「足跡の子供の祖先は、シベリア狩猟族か、北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoか、今後熱い議論になるでしょう」となるべきところなのにです。大きな理由の一つは、これに関する日本側学界の発信が何もない(周回遅れ)からでしょう。①出アフリカからの現生人類史を考えれば、沿岸ルートA-1、一部が主張する内陸ルートA-2で、4万年前頃は似たような人々が30~40kmを渡海して北部九州へですが、シベリア南部からBは到達していません。実証最古は、②原産地が特定された東京諸島の神津・恩馳島Onbasejimaの良質の黒耀石が、静岡東部から関東、驚きの長野(良質・大規模原産地が所在)でも発見されており、年代測定の最古は38,000年前で、20~55km幅の海峡の様な海を行き来したことと広域の交易は、世界に類例のない考古学史上の「金メダル」なのです。
造舟、操舟、専門集団、交易などは、やがてこの地域で見られる陥し穴猟と共に、その知的レベルと社会性はもはや「原始」などでは全くありません。朝日新聞は「謎」と報じましたが、20km向こうの大島から東京諸島のかなりの部分は舟を引いて陸地を歩けますし、海流は今の様な北上する黒潮分岐流で房総の方から太平洋へ流される危険もありませんでした。③九州から南下しトカラ列島を越えて沖縄へ、2.7万年前の石垣島人骨から復元された南方Sundaland系の祖人・石垣島は、祖史時代の「曙海」沿岸の人々が同様であったでしょうから、祖人イメージを代表できます。因みに➃最寒期には海獣が、北海道に似て仙台あたりまで居ました。既に本州中央部で連接connectionが果たされていましたが、⑤本州北端の青森の特色は、太平洋側と大雪のなかった日本海側の北上による諸経験が合一する所で、文化程度が高かったことでしょう(ずっと後にも、最古級土器、高度縄文土偶などが出現)、狭くなっていた津軽海峡を越えて北海道に拡がりました。
⑥3万年前までには達していた十勝地域は、北上の継続により千島とオホーツク沿岸からベリンジアに向かった玄関口・ゲイトウェイと考えています。この十勝の石器が、⑦北陸のモノと似ていると言われており、興味深いことです。最後に、北千島とカムチャッカ半島南部に存在していて、明治時代以降に鳥居龍蔵らが調査した旧石器時代を思わせる遊動暮らしの自称“ルートン“海民は、十勝からアイヌに追われたと伝えられる「コロボックル」や祖人・北海道の子孫とも思われ、かつてはカムチャッカの広い範囲におり、カムチャダールに南端まで圧迫されたように思われます。半島中部のウシュキ遺跡の埋葬副葬品が、2万年前の函館知内町のモノと似ていると言うことが関連を思わせ、そこまで至れば、ベリンジア到達の可能性を窺がわせます。祖人は関りある有力候補であることを、子どもに世界に。いずれにしても今回の東京・札幌オリンピックに際し、各方面にこのような見解を伝えましたが、折角の機会に世界にPRすることなく終わった事は、大きな問題で大変残念です。令和の行政と学界・日本学術会議の「汚点」として、ここに記述し残します。