DNA変化拡散の①男系Y(線灰色)、②女系mtの状況をみると、共に出アフリカ~東進して東南アジア(インマレイドImdへ変化)、そこから枝分かれの北上と東進継続の豪進入です。更にユーラシア東部では東から西であり(西からも)、アメリカ新大陸進入です。
そして、ユーラシア東部北上後に、最終氷期最寒期LGM(2.6~1.9万年前)以降に身体変化を伴うモンゴロイド化しています。従って、初期の東南アジア地域の出アフリカ人を、(ジンギスカンにびっくりした)欧米学者が「旧モンゴロイド」と言い始めたのは誤解を生む誤りでした。さて、遺伝学会のY遺伝子M130に注目した図から、古い時代の豪でみられるM130の変化P-39型という痕跡が北米先住民に見られます。沿岸地域を北上して「米臨海」北のベリンジアを通って行った事から、①北海道(3.5~3万年前遺跡)と赤点線線ルートが注目されます。内陸の沿海州a・オホーツク海地域には北海道に匹敵する古さの遺跡は見られず、シベリアルートBは、始まりのバイル湖地域は2.4万年前~、RHSヤナ遺跡は3.2万年前ですが一時的な使用とみられ(東大の海部教授)、その時代の東への移住はなく温暖化後の1.5万年前の痕跡になります。
③Bルートはこれまで長い間定説でしたし、何よりも進入後の北米内陸の無氷回廊を経た狩猟族の拡がり影響力の強さに惑わされている(穏やか沿岸系はこめやられた)のではという事なのです。結局、シベリア東進のB点線移住ルートは、LGM・モンゴロイド化以降の温暖化してからではないのかという疑問があるのです。北海道に匹敵する古さの移住を示す遺跡も発見されていないからなのです。問題は、何故この重要な発地候補の北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoが無視・軽視されているのかという事なのです。子供に教え、世界に発信し、国際共同研究を、という事です。