②38,000年前に伊豆の海を東京諸島に黒耀石を求めて行き来したことは、石の原産地分析、関東東海で発見された遺物の年代分析ではっきりですし、伊豆東部から大きく見える大島迄約20km、当時の海流はおそらく北から、黒耀石の神津・恩馳島まで全てが見えますので謎でも何でもないのに、学校は教えず世界に発信しないのは異常です。
前回説明の出アフリカ族が、東南アジア・スンダランド地域に至り北上して環太平洋移住した海の民の痕跡は諸所に窺われます。なんと言っても数万年前の揺り籠の①洞窟に舟の絵を描いている、その操舟・造舟、描画の知的レベルは驚きです。そして、約90kmの海を越えてともかく6~5万年前に「急行」の豪行きです。当時の海水面の数十m上昇で陸地が拡がっていたパンカル海、曙海を北上して約4万年前に舟(筏)で北部九州に渡海し、沖縄へ南下し3.5~3万年前には北海道へ東進北上しました。注目は祖代・縄文時代の痕跡が窺われる③千島とカムチャッカを行き来した石器・土器・竪穴住居の「遊動海民」暮らしのルートン人(日本祖人系、13世紀アイヌより早くから)で、今後の更なる解明が期待されます。
はっきり海民性を残す、④厳しい北の海のスペシャリストでロシア人も兜を脱いだアレウト人は、少年から鍛える海での海獣などの漁、水を入れない縫製の舟造りなどが、正に第1級の海民です。
今、「最初のアメリカ人」先住民は北太平洋沿岸からというのが新定説ですが、⑤カナダ沿岸には海民の暮らしをトーテムポールと共に守っている人々がよく知られ、近くの動物を狩猟できるのにせずに海辺の暮らしを続けている種族もいます。また、⑥カリフォルニアのチャネル諸島では、大陸本土と異なる万年前の精巧な石器と暮らしが発掘され、一度も本土と繋がったことが無いので海の民の南下です。環太平洋は語族の共通性(元日本言語学会長 松本克己博士)の他、まだいろいろ紹介すべき内容があり、研究が期待されるこの現生人類移住史の重要ルートです。⑦フロリダ博物館には、海辺の民のはっきりした暮らしが残されていますが、世界の多くの沿岸では痕跡は既に海中です。この状況と海からの歴史視点を子供に教え、世界に発信し、共同研究に予算を投じましょう。