1図P.Martinの研究は興味深く、「最初のアメリカ人」に関わる時代のシベリアにおける動きを明らかにしています。
2図に拡大していますが、マンモス・ハンター(狩猟族)の活動の北限とマンモスそのものの南限が線で示され、極北は出アフリカの新人が進出し得ておらず、ハンター無し地域になっています。実は東部シベリアの北極海に面した地域には、ヤナRHS遺跡(32,000年前)がありますが、一時的なモノとみられていますので、Martin の認識でよいでしょう。他方、シベリア居住の有名なマリタ遺跡(23,000年前)では、 Mattewsによれば 実は発掘の殆どがトナカイの骨であり、マンモスは数%ですのでマンモス・ハンターと言うのはミスリードです。常に実証慎重を強調する学者先生が、何故か北海道史の始まりを北からマンモス・ハンターが入って来て歴史が始まった ように印象付け記述しているのは問題です。 マンモスは、数少なくずっと古い物と認識すべきで、「マンモス・ハンターは来なかった、青森祖人が狭くなっていた海峡を越えて北上して来て拡がった」とはっきり訂正すべきです。
すると2図では、「一時的列島」(Temporary Archipelago:米伊3大学研究と命名)から1.7万年以前に、フネで入って来たと考えられているために、「誰が」青点線の沿岸をベリンジアに北上して行ったのかとなります。図右のA.次々に食豊かな島々が見えた千島を北上したルートン遊動海民(北部九州への渡海、伊豆の海を行き来した祖人の子孫)、B.シベリアからカムチャッカ南部に進出していた可能性あるハンターが沿岸暮らしに切り替えて北上、C.海民とハンターの混合が考えられますが、いずれにしてもルートン海民の造舟・操舟のノウハウは重要だったでしょう。ルートン地域人の研究が重要な所以です。3図は、「最初のアメリカ人」の検討で、シベリア、アラスカの関連遺跡が各々十数ケ所というレベルに対し、700ケ所の北海道が軽視されている現状は日本学者の問題です。そして、ベリンジアによって北極海の冷水がSTOPしていたので、「米臨海」は正にハワイに繋がる海であった事も、シベリア寒気の厳しい氷河期のこの時代の検討に当たり重要な事です。子供に教え世界に発信し、国際共同研究で解明すべきです。