今、世界人類史の重要な問題である「最初のアメリカ人」(1万数万年以前から)について、右図①日本最新の旧石器辞典が全く扱っていない周回遅れです。従って、子供は学校で全く教わっていません。
旧石器時代は約1万年前以前、中国では1.4万年以前になろうかという状況でアフリカ、ユーラシアを扱いながら、世界注目のアメリカ新大陸の重要な旧石器時代を全く扱っていない異常です。問題は長く左図②シベリアのマンモス狩猟族Bが、当時の海水面低下で生じていたベーリング地峡からマンモスを追って入って来て、氷床が融けた「無氷回廊」を通り米本土に、南米にまで拡がったというものでした。ところが近年になって、③その回廊が開いた頃の南米チリ遺跡が歴史界に衝撃を与え、北米では開通以前の遺跡が諸所で発見され、北太平洋沿岸の昆布ハイウェイ(Kelp Highway)をフネで入って来た”沿岸ルート説”が主流になってきました。DNA分析によってアジアからであるとなり、一部に根強かった大西洋ルートなどは否定されています。そして、④食が豊かな昆布ハイウェイルートと石器の類似性に着目したアメリカ学者の中に、A日本から来たのではと言う者が現れました。
日本からとなれば北海道であり、3万年前からの祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoが注目されますが、日本では根拠もなく沿海州・樺太の方からマンモスを追って(現生人類が)南下し入って来たというイメージが今も書籍や博物館の展示で与えられ、南方九州から北上して拡がったという1万件を超える旧石器遺跡が示す事実が示されない異常から、外に出るイメージが生まれず、今やアメリカ学者が言い出した事に対応できていません。さて、左図A④3万数千年前の青森から狭くなっていた津軽海峡を越え、3万年前(石器分析)には北海道に拡がっていた祖人が注目され、図のように一旦はいろいろ別れても合流する種々のルートが考えられます。当時の地峡により、北極海の冷水の流入はSTOPしていた米臨海は正にハワイに繋がる海でした。外国の学者にはアリューシャン列島ルートを指摘する者もいますが、図中央のロシア・コマンドル諸島(かつて侵入した露人が生活難で全滅)から列島側へは400kmを超える漕舟が必要で、1日10時間で約1週間、万年前には困難だったろうと考えます(仮に、祖人が渡っていたなら言葉もない驚き!)。
更に、考古学的には“米臨海”地域は、せいぜい1.5万年前までの遺跡発見の状況ですが、⑤DNA分析ではもっと早くに現生人類はベーリング地峡に達し、そこで滞留してDNAが変化したCと考えないと理解できない状況にあるとの分子生物学分野の意見が出ています。という状況で世界は移住史の最後の謎に取り組んでいます。日本も積極参加し、北海道の当時の状況、考えられるルートに係る状況についての解明努力が必要で、膨大なアイヌ予算から充当して協同研究などにより世界学界に貢献しましょう。子供に教えて研究進展に期待し、世界に旧石器時代・日本祖代の北海道関連を発信しましょう。