日本経由、不思議でないフィリッピン~北海道、アメリカ!

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世界史上の金メダルである「38,000年前の伊豆の海の行き来」を今もって学校ではしっかり教えていません。「日本祖人」が、東京都神津・恩馳島の黒耀石を求めて伊豆の海を行き来した事は、関東・東海で発見された石の原産地特定と年代測定により驚きをもって確認されました。その余りの古さと距離(石廊崎~恩馳島、約55km)から、かつて朝日新聞が「謎」として発見の事実を報じたこともあってか、この偉業はしっかり教えられていません。

第1図、当時は海岸線が100m近くも下がっていて島がかなり拡大(大島を除く)しており、流れは今と逆に北から親潮分岐流があったと考えられ、最適の行き来は図のように、河津~恩馳島から徒歩えい航~大島~河津の三角形進路が考えられる(最短直路は10数km)のです。行きは太陽、帰りは伊豆の山並みで方向も維持しやすく、伊豆の山は造舟の木材で有名な地ですし、何しろ九州へ家族で海峡を渡って来たことがはっきりしてきた海の民の子孫ですから、昨年の「3万年の航海」の苦労に比べればず~~と容易でした。問題は、更に1万年も古い大昔ということに、九州渡来も伊豆の行き来も大きな声で言うことをためらわせたのかもしれません。
ところが、第2図、英ケンブリッジ大などのチームが、フィリッピン・ルソン島Callao洞窟の発掘で67,000年前と出た石器群を発見しました。

そして、その古さの石器群は、これまでの認識を改めねばならないだろうという祖先の製作の知力が窺えるのだそうです。他方、私たちが注目すべきは、①Sundalandからルソン島へは2~3度の渡海を要すること、②そうであるなら、ルソン~台湾間250kmには3個群の島々が見えて有り、③東側は黒潮流が押してくれますので、渡って来れたことです。即ち、「日本祖人」の知力と経験が、今や実証的に得る分かるのです。九州渡来や伊豆の行き来は、「謎」や不思議ではなく十分考えられるのです。そして、狭くなっていた津軽海峡を鼻歌で越え、暮らしに適応しつつ択捉島まで北上して行ったら、その後の千島は食豊かな処女地が次々に見えていました。先生、不思議ではない可能性を教えましょう、フィリピンからアメリカまで。


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