当時は氷河期で①ベーリング地峡Beringiaのほか➄まで、「米臨海」に北極海の冷水が流れこまない、氷床と昆布ハイウェイが重要な今との主要な違いが幾つかありました。最も寒かった時代Last Glacial Maximumも含まれます。考古学やDNAの分析から、北太平洋沿岸を舟で入って来た、北米氷床のために暫くは南下して入れず、ベーリング地峡で数千年間の足踏みの「滞留」をしていたと考えられています。
さて関係候補は図左のA,B,Cとなります。不思議にも全く的外れのアイヌの名が出たりしましたが、Hokkaidoとはっきり書かれたのをまず見ないのです。これは、一に日本学界の問題でしょう。それは多くの歴史本、北海道紹介本が、その始まりを沿海州・樺太からマンモスを追ってシベリアの狩猟族が南下し入って来たという時期の違う誤りを書いており、論外である鎌倉時代からのアイヌが世界の論議で出ても訂正努力をして来なかった事にもあるのです。3万~1.7万年前の焦点時代に、「どのような事がBeringiaであったのか?」は重要なカギと世界の学界では考えられています。単独であるいは混じり合いで種々の事が考えられますが、北海道「日本祖人」が除外される理由など有りません。十勝・千歳・遠軽白滝など遺跡遺物は、A、B、Cでは群を抜いて充実です。
伊豆の海を行き来していた日本祖人は、「舟で来た」新説にもピッタリで、食の豊かな昆布ハイウェイも応援しています。
他方、東シベリア・ルートは、近年でも―60℃で2名が亡くなった厳しい環境です。シベリア狩猟族が、海の民系の日本祖人を駆逐した可能性は有りますが、A北海道が、この問題に関わらないとは考えにくく、除外される明確な理由は見出せず、単に日本側の発信が無いためとしか思えません。参加の無いところに何の学問成果もあり得ませんので、学界の本件に対する積極参加を切望します。ところでアフリカを出た古い現生人類の一例写真を付けましたが、皆さんは、A,B,Cから最初のアメリカ人をどう考えられますか?