ピラミッドと聞くとあのエジプトのギザのものが思い浮かべられます。世界的に有名な正に傑作の金字塔ですが、実はピラミッド仲間では少数派です。それは、当地で普通にどこにでも見られるような、崇める天、神の造った火山として安定した造形の数多の山々と類似しています。それだけに人間が造る場合は大変です。
我がシェアハウス丘上から見える ブリトゥン島のピラミッド山
ピラミッド山
しかし、学界では最古とされるエジプトの最初のものは、4,650年前頃のサッカラのジェゼル王のピラミッドで、階段ピラミッドと呼ばれています。
当地のグヌン・パダン、レバッ・チベドゥなどや中南米のものと類似の造形です。当地では、半年以上の雨季には、正に天、神が怒っていると感じるような雷が轟き、1-2時間の強く激しい雨が降ります。それはピラミッド角柱の角を丸くするほどのものです。そして当地は地震があり、これを恐れればかなり平たい構造のものすら当地にはあります。
この雨と地震の揺れのもたらす土石の緩みによる斜面の地滑り崩れは大きな問題です。グヌン・パダンではこの対策として、当地の人なら普通に思いつく棚田式にし、垂直と水平の石積みを工夫しています。
グヌン・パダンは、近年の調査により斜面のすそ野まで棚田式になっていることが明らかになりました。また、南米の世界遺産マチュピチュも農耕生活の必要もあり、棚田式になっています。
グヌン・パダンの棚田式斜面(アリ・アクバル教授「遺跡グヌン・パダン」から)
そこで問題は、当時、エジプトのナイル河畔は雨の少ない、地震もたいしたことない地域であるのに何故、棚田風にしたかです。グヌン・パダンの造形を採り入れたのでは?と考えさせられます。案の定その時代後には失敗もありましたが、強大な権力のクフ王は、天・神の造形をめざし、あの角錐金字塔の造形を完成させています。
グヌン・パダンは、表面の第1層は裾野まで棚田式ですが、内部の2層、3層もやはり棚田式であったのかという問題があります。これらの建造時代と造形の重要さからグヌン・パダン内部の形態の解明が注目されます。