海辺の人類史、目黒のさんま!

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贅沢美食の殿様が、「こんな美味いものが、この世にあるのか」と言いました。同じ物を食べたとして同じ感想を言う人たちが世界にいないところが、注目すべき点です。生魚を食す日本人には、明治時代にやって来た欧米人はもとより、2千年前のシナ王朝の人たちも、「曙海」沿岸の呉越人や対岸の倭人が、入れ墨して海に潜る、魚や海藻を食すヘンな奴と書いています。森のサルの暮らしから灌木疎林のサバンナに出て肉を食すようになり、海辺で魚介類を食すようになったのは大変化です。どうも新人(アジア)は湖・川に関係深く、南アの海岸遺跡は魚介を食しただけでなく、赤色オーカーを用い、ビーズ装飾品を使う最古級の知的レベルが注目されています。

もしかしたら、環太平洋移住(MPOR)は、海辺の暮らしの南ア発かも知れず、展開移住のルート上のスリランカで、これまで学者が無いと考えて来た「熱帯雨林内での暮らし」が4.5万年前の古さで最近になって驚きとともに発見されました。そして興味深いのは、南米高地の先住民が海藻を好むことです。入手のため下山して2週間程かけて行き来していることで、海辺の民が追い立てられ逃げるように高地暮らしになって行ったのでしょう。南アの海岸からアンデスの高地まで、欧米学者さんには余り注目されませんが、今、「最初のアメリカ人」問題で注目のBeringia沿岸の「昆布ハイウェイ」だけでなく、海辺の人類史は実は世界の歴史認識上、極めて重要なのです。 陛下献上の神饌は、鰒や海藻などが大切にされた歴史です。 目黒のさんまはその痕跡です。

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