ハーバード大H教授は「日本文明」と言い、日本でもDNA分析や言語の孤立性から、日本は隣近所と違うという理解です。では、何故なのかという答えははっきり言われて無いようです。人類史を考えれば、そんな違いは千年2千年で生まれる訳でなく、約4万年前からの「日本祖代」に答えはあります。下図の左上の素朴荒削りの石器は、「曙海」の畔の言葉をしゃべって、始まりの九州から北海道まで約1万年で拡がった「日本祖人」とその使用した石器は等質で磨製は世界驚きのモノです。その後の変化は右下のナイフ形で、洗練されており、先生方は僅かな特徴ある違いで形式を分類されますが、青森弁と大阪弁程の違いも無い同様な物で、しかも分化が今に繋がっています。
その後、地球環境の寒冷化で大型動物が消えて中・小となり、北の沿海州の方からと大陸内部の方からの文化の南下の影響もあり、尖頭器・細石器が生まれていきます。日本の始まりをこの3方向からと描いている図が一般的ですが、B,C,Eは根の無い大きな間違いの誤解の元で、南からの北上と定着に、その後の南北からの追加混合が、日本の特色なのです。この歴史を積み重ねた事が独自的なのであり、隣近所の「曙海」沿岸からは消されてしまった、見えにくいものなのです。
パリ大学で民族・社会学を学んだ岡本太郎は日本文化の最深部に迫り、太陽の輝き、荒々しい迫力・生命力、お互いに分かり合い易い、淡泊で諦観を有する日本島嶼文化を把握し、「曙海」の認識は無かったものの、台湾古族に、マレー(東南アジア)性を見ています。万博太陽の塔を制作して「インテリが何だコレはアメリカ、フランス、・・・日本にもないと批判されたが、ピープルが魅かれてやってきて喜んだのは、稲作文化、官僚システムに覆われ閉ざされたモラルでも、何千年か前の思い出が血に潜むもの」と言いました。岡本太郎が当時、「日本祖代」を教えてもらっていれば、「万年前の基層」と言われたでしょう。
そして今や、16,000年以前に舟で入って来たという新仮説の「最初のアメリカ人」かも知れないと世界の注目なのです。