最初のアメリカ人は何処から、誰だったのかが議論されており、そのルートについての従来の定説は覆って、ベーリング地峡をマンモスを追ってではなく、南岸の「昆布ハイウェイ」から舟で来たようだとなって来ています。
我が方は、4万年前頃という時代の議論の精度として下図で大筋良く、何よりも十分意味が有ります。
分かり易く印象的に最新の石垣人復元図(2.7万年前頃)で表現しています。
野尻湖遺跡が古く現生人類だと分かった、来着は八重山の方がいや五島が早かったといった種々の議論は有り得ますが、はっきりすれば修正になります。
問題はそういう事ではなく、次のような事です。
網野善彦対談集3海と日本人(260ページ)岩波書店(2015年3月20)から。
網野 「日本」という国号は七世紀末に決まるんです。それ以前は「日本」ではありません。倭人はいても「日本人」は存在しなかった。聖徳太子自身、自分は倭王と言っているわけですから。これを日本人などと言うのは・・・・・・。
姫田(忠義 ドキュメンタリー映画監督)失礼な話ですよね。本人はそう思っていないのだから(笑)
世界の歴史学者さんに縄文人は何人かと訊いたら、日本人と答えるでしょう。では、その父、祖父、・・・は、と訊くのは愚問です。
因みにインドネシアの古老は、「お前は曾祖父で終わりか、オレたちは8つ前まで名があるぞ。お腹の子だって、毎月の名が有るぞ」と言われました。
さて、標題で答えたら、入試に落ちるんですか?
それよりも聖徳太子に叱られると思います。近頃は、日出る国の民と言ってないじゃないかと。
(了)