私たちの祖先が、氷河期に裸一貫でアフリカの地を出た現生人類(新人)であることは世界の共通認識(時期は10~6万年前で諸説)です。
その後、日本列島に至るルートは、下図のA、B、Cが挙げられていますが、Aの可能性が高いでしょう。B、C地域の遺跡はAからの河川の遡行の可能性も考えるべきです。
そして4万年前頃の「曙海」のほとりですが、今は沈んでいる「北東ア平野」を考慮すれば、西岸の沿岸地域から、海を越えて緑豊かな九州に達し(八重山へ渡洋し北上するのは、長距離の慶良間海峡越えが難しい)ました。
海水面最低下の2万年前頃でさえ西岸と陸で繋がったことは有りません(!)でしたので、多くの家族が舟(筏)により渡洋して来ましたが、当然に「先住民」(現生人類)は居ませんでした。
祖先は日本列島中に拡がり(「日本祖人」)、その後は特に2万年前頃、北は陸伝いに、南は海を越えて大陸内部の渡来者が来て含め、やがて縄文人と呼ばれることになりました。
世界の認識では縄文人は日本人であり、その父・祖父・曾祖父・・・の「日本祖人」もまた当然にして日本人です。
全ての日本人は、単に渡洋の時期が違う先祖の子孫または最新の本人です。
なお、発見されている最古の祖先の痕跡(通説)は、列島中央部の黒耀石の石器(3.75万年前頃)ですが、降臨したのではなく九州から北上した人たちの物です。
さて、下図の祖先の①を日本人と言えば、世界から笑われます。②を日本人と言えば、隣国から怒られます。外洋の海を越えて来た③の八重山・対馬~北海道の「日本祖人」を日本人と言わなければ、ご先祖様から叱られます。
私たちの「祖先」は、時の始まりと地域の線引きが分っている世界史上とてもユニークな、4万年前頃からの長~い日本史の創業者なのです。
どんな会社の社史でも、先ず創業者を見つめます!
(了)