豪Griffith大チームが、過半が沈んだ東南アジアのSundalandのボルネオ島東部で、4万年前頃の洞窟・野牛絵と5.2万年前となりうる洞窟・人の手型絵を確認(下図左上)しました。
前々回、スラウェシ島の手型絵を報告したばかりでしたが、マカッサル海峡を挟んだ近傍反対側であり、世界最古の具象の動物絵です。
Sundaland地域は、豪州への現生人類の渡海移住、今回と同じボルネオ島の西部にあるニア洞窟の現生人類遺跡などと共に日本に関わるアジア現生人類史の古郷です。
私たちの祖先がこの地域から北上したと考える「南方起源説」を今回更に補強したという訳です。
さて、サルなどと決定的に異なる現生人類の知能進化は、いつ、どんな、が話題になります。
アフリカ南部海岸の赤色オーカー塗料の使用や貝ビーズの装身具などが発見され、一歩一歩10万年前位からということのようですが、特に4万年前頃からの欧州の洞窟絵が目立って採り上げられて来ました。
新しくなりますがスペイン・仏のものは、もう現代人顔負けの素晴らしいもの(下図左下)で、長く欧州人のプライドでした。
今回発表の事は、東南アジアが正に双極をなすものであったことを示しています。
欧州の方は、中東から洞窟にやって来た時に既に画くことが出来た人(クロマニヨン人)たちであった、即ち描くルーツは移住ルートの途中、あるいは中東などとみられています。
ホントに本当にひょっとしたらアジア・Sundalandからかも知れませんね。
ところで、4万年前頃と言えば、初めて日本列島(九州)に現生人類がやって来た頃(縄文時代前の「日本祖代」の前期)のことです。
歴史学をリードする欧米は、そんな例が無いためか余り注目しませんが、舟と櫂を造り、多くの家族が40kmもの外洋を渡航した人たち(下図右)のと洞窟の中で動物の絵を描いた人たちと、どっちの知能進化が凄い、サルから遠い事でしょうか。
少なくとも甲乙つけ難しではないでしょうか、日本の教科書がこの渡航という「日本祖人」の偉業を特筆しないのが不思議です。
3.7万年前頃にははっきり、伊豆・神津恩馳島に20km以上の黒潮分岐流を越えて黒耀石の採取に行き来し、しかも既に交換の文化もあった事が、黒耀石原産地分析でその傍証としてはっきりしているのにです。
ピューリタンが、1620年にメイフラワー号でアメリカ新大陸に渡ったのなどと比較にならない始まりの偉業ですよね。(日本学会は、欧米か?!—漫才タカアンドトシ)
(了)