近年、世界の人類史では新たな発見が伝えられています。
アフリカ北西部で定説を10万年も遡る30万年前の人骨発見、あるいは東南アジアの人たちは定説より古く複雑な成り立ちであったことやアマゾンで全く近代文明と接触していない古部族が発見されたり、豪州の始まりもずっと古いようです。
万年を遥かに超える前の事に関しては、100mを越える海水面の上昇から特に沿岸の地形変化は大きく、消えてしまったモノもあり、また数字も当然にしてaboutな幅があります。
そういう中で、4万年前頃に九州に渡海して来て、「日本祖人」(縄文人の先代)が3万年前頃には北海道にまで拡がっていたことが、1万箇所以上の列島旧石器遺跡の分析から確認されていることは、世界人類史上で尺度と言える大変重要なことです。
また、九州に渡海しただけでなく、37,000年前頃、伊豆半島と伊豆諸島を、黒耀石を採るために黒潮分岐流を越えて舟で行き来していたことは、世界が驚く確定事象として有名です。
他方、最初のアメリカ人についても、かつての定説は見直されてベーリング海の北岸地域の「昆布ハイウェー」を舟で渡って来たと考えられるようになっています。
但し欧米の学者さんは依然として、シベリア種族が来たものと何となく考えているようですが、マンモスハンター狩猟族が、簡単に操舟の海民になったとはとても思えません。
大変なノウハウの継承が必要ですし、海藻を食べると腹を壊す欧米人もいますから。
従って、操舟力ある日本祖人による北海道・千島ルートが注目されてきています。
ところで何故、日本祖人が降雪寒冷の地に入って行ったのか、それは「北の漁場」があったからでした。
「襟裳岬」は、正にリッチな昆布ハイウェー傍(魚介・海獣・鳥など含む)にあるのです。
春夏秋冬、何もない襟裳岬だったら、誰も苦労して住み着きません。
被災の北海道が、今、世界人類史において注目されています。
(了)