日本祖人の渡来-渡米を、海流に探る!

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先ず下図1南方から来た人々が台湾山地から黒潮流を越えて直路で八重山に来るのは、日本祖代の始めの頃は大変だったでしょう。また、慶良間ギャップも遠い事です。

対馬暖流が無く黒潮が時計回り性の流れだったので、北東ア平野の東海岸を北上して九州北部に来たと普通に考えます。

そして、列島を北上して行き、沖縄本島へと南下して行ったのでしょう。

いずれにしろ当時の曙海の畔の東西南北の人々は、下写真に似たような人たちだったことでしょう。

その後、八重山に台湾山地から来たのか、沖縄本島から南下して来たのか興味深い事ですが、東南アジアとの強い類似性がみられます。

北海道の遠軽・白滝の黒耀石が、樺太や沿海州で見つかったと騒ぎますが、曾爺さんの所に佳い宝の石がある事は知ってました。もしかしたら形見を持って拡がったのかもですので、驚きではないです。

次に渡米ですが最初の上図2、ポイントは北極海の冷水が流れ込まないベーリング海(米臨海)は当時、正にハワイに繋がる海でした。

そして、北太平洋沿岸には下図緑の食料豊かな「昆布Kelpハイウェイ」が北海道から米西海岸へと繋がっていました。

世界の学界は何となくシベリアBのイメージのようですが、米臨海・昆布ハイウェイを考えれば普通に日本祖人Aだったでしょう。

日本列島は、世界の人類展開史に重要な地位を占めているのです。

更に、南米で新たに発見されてきている遺跡やDNAから、Sundaland~日本列島~ベリンジア南岸~米西海岸~南米太平洋沿岸へと、これも普通に環太平洋移動移住(MPOR)論が導かれます。

(了)

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