日本祖人、海の民の痕跡を探る。

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4万年前からの日本祖人は、その後の百mにも及ぶ海水面の上昇により、当時は主だった沿岸の生活痕跡は消えています。

従って、曙海のほとりから北部九州に渡って来た海の民であったことは想像されますが、その痕跡の発見は困難です。

いわゆる旧石器時代の特に4~3万年前の遺物、遺跡によって、その足跡は窺えますが。

今回、ティモールの北側、インドネシアのアロール島で12,000年前とされる埋葬された成人女性のアゴの傍に、世界でも珍しい事ですが、副葬されたツメタガイ系の釣り針が発見されました。

調査に当たった豪国立大の研究者は、男性が主体の釣りの時代に彼女自身が高名な釣り人であったのでは、しかもその釣り針の形状から深海魚の釣り手だったと考えています。

この地域では、ティモールで2万数千年前の舟で釣った外洋魚の骨も見つかっていますし、更には数十㎞の海を家族で越えて6.5万年前頃には、豪州に渡っていると考えられています。

こういう人たちが北上して赤道地域とは違う気候への適応に長期間を要しながら、日本列島の北部九州へ数十kmの海を越えて家族で渡って来た訳です。

外洋の荒海数十kmを家族で行くための舟造りや操舟という海の民のknow-howは大変なものです。

内陸狩猟族の人たちが海辺に来て、とても一朝一夕で出来るものではないと思うのです。

そして、この海の民の人たちの様々な暮らしぶりは、絶えることなく日本列島史に様相が刻まれています。

その海辺・川辺の生活は、弥生時代の米作りの渡来を大きな契機に、徐々にコメやられてしまいましたが。

しかし、アメリカへ初めて渡って行った人達であろうことは特筆されて良いと、環太平洋移動・移住MPOR説者として、強調したいのです。

(了)

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