よく言われる日本列島に北から西から南から人々が来て始まり、は時代差を踏まえない誤解です。
実際は、先ず南方から九州に来て北上して一方向性でほぼ列島中に拡がった事が重要な特徴で1万年、次の更に1万年後に、北から西から狩猟族が入って来た日本祖代人の始まりの二重構造性です。
この最初の海の民系の渡来と列島中への拡がり及び定着の2万年は、列島史時間の半分を占めるものです。
水と緑と動植物の豊かな恵まれた地ですが、火山噴火や地震津波もある特色ある孤立的な島々での暮らしの基礎と言うべきものです。
そして、雪と寒冷の北海道から引き続き食料豊かな無人の地に北上して行ったと考えるべきで、最初のアメリカ人論に繋がっていきます。
古い時代の列島中に拡がっていた、既に舟で神津島などに行き来し広域の物々交換をしていた、日本祖人の暮らしの分厚い基礎があった訳です。
ところで、この日本祖代と縄文時代の後、稲作を携えた渡来人やその後の古墳時代渡来人などの流入により積み重ねられた第2の二重、三重構造時代と言うべきことになっていきます。
また、この最初の二重構造性の日本祖代と縄文時代の基層(日本史時間の93%)によって、その後入って来たものを取捨選択、変形して取り込み熟成させながら、日本文明、日本教と呼ばれる独特なものが形づくられたのだと考えます。
今でもユニークな日本の古い祭りもありますね。
(了)