最初のアメリカ人については、長かったベーリング地峡Beringia越え定説Bの時代が終わり、北太平洋沿岸の昆布kelpハイウェイルートA説が主流になっています。
しかし、欧米学界では、未だシベリアB人が来たというイメージが強いようです。
第1図
その大きな理由は、現在のNativeインディアンの80%がシベリアB系であるということと、も一つは、万年前の昔の今との大きな5つの違いについての認識が不十分なせいだと思います。
それは、シベリア狩猟族とは心根や暮らしぶりの違う、忘れられがちな環太平洋の海の民に想いを馳せる事です。
近年発見されている北米や南米の遺跡、人々のDNA分析などを考慮すれば、極寒のシベリアを越えたのは、最寒冷期後とみられますが、南米の古い遺跡と合いません。
第2図
この点で第1図のAルートは、ベーリング海が現在よりも温かかったとみられる差異があります。
やはり先に沿岸を入って行ったA系と従来の地峡及び無氷回廊及び沿岸も行ったであろう影響力の強いB系という、かねて当サイト提唱の二重構造で考える必要があるでしょう。
kelpハイウェイに目が向いてきたのも心強いですが、こういう視点で下図全域の特に沿岸遺跡や関連DNA資料などを見直すことも必要な事と思います。
当時の気温や海水面・温度、食料となる動植物など諸学協同の分析が期待されます。
そして、証拠が見つからないという事は、事実が無かったという証拠ではないと思いつつ。Absence of evidence is not evidence of absence.
(了)