英国Cambridgeケンブリジ大学考古学誌(8月8日付)が、Franceフランス・パリ国立自然歴史博物館によるブラジルSanta Elina岩窟(下右図)遺跡の石器や動物の骨などの遺物について、研究成果を掲載しました。
1万年前、2千年前の遺物の有る厚い地層の深い層の上記遺物の発掘と分析から驚きの23,120年前のモノであるというものです。
これまでの古い南米遺跡は、14,000年前頃のチリ南部のモンテベルデ(Monte Verde)の住居跡遺跡でしたから驚きの古さのものです。
最寒冷前期(Last Glacial Maximum)という早い時期に南米のしかも内陸中央に達しています。
ともかくベーリング地峡を渡り、アラスカ-カナダ―北米-中米-南米の太平洋岸から内陸に達していることになります。
当サイトでは、現生人類のアメリカ進入については、A、Bの2種族の移動・移住を考えています。この発見で、下図のAは、23,000BP(LGM)以前に北米進入に修正です。
Bの場合、此の氷河期の冬の気温が-60~50度Cに低下したであろう極寒のシベリア内陸から上図チュコト地区に至った、とは考え難いです。
また、内陸の大型哺乳動物の狩猟族Hunterが、海辺で行動する熟練と海洋についての多くの知見を必要とする全く異なった沿海暮らしを家族ですることも容易な事では無かったでしょう。
操舟を必要とする海辺の食物獲得と喫食による長距離の進入・南下は、考え難いです。
現に、エスキモーの人たちは、殆ど沿岸から離れずに陸地主の暮らしをしています。
さてこう考えますと、此のブラジルでの発見は、既に報告しています下図A種族系の進入を示しています。
魚介・海藻を食し操舟に熟練した日本祖人による北海道からの最寒冷LGM期(約2万年前時代)前の沿岸沿いの昆布ハイウェイでの渡米及び南下である環太平洋移動・移住MPOR説を、正に支持するものです。
無論、東南アジアから直路で太平洋を南米に横断したということは、南太平洋の遺跡の状況から全く考えられないゼロが2つ違う時代の話ですので。
いずれにしろ南米では、米ハーヴァード医科大Harvard Medical Schoolが、アマゾン3古部族のDNAが北米インディアンやシベリア人ではなく、東南アジアSundalandや豪サフルランド地域の人たちに近いという驚きの分析結果を既に発表しています。
この2例目が加わったことで、再び共に注目されるでしょう。
(了)