ハロウィンの時節となり、派手な入れ墨をする人もいます。
入れ墨のtatooや禁忌のタブーなどは、欧州人がポリネシア人と接して採り入れた言葉といわれてますから、これは数百年前の新しい事です。
世界には未だに万年前の石器時代のような暮らしをしている種族がおり、原色のボディペインティングをして装身具で飾っています。
このペインティングや切り傷つけ(創痕生成)などから体への入れ墨は生まれたのでしょう。
豊穣や戦いへの願い、魔除け・厄禍を防ぐ、仲間の識別、男女とも一人前・成人になった証に、漁撈の安全、獲物の祝い、など様々な理由と仕方の種類があったようです。
彫り込む紋様も、例えば「+」や「✖」などは魔除けの記号であり、トーテム信仰に基づくものであったようです。
顔料も使われ永久に消えない事が、来世へ持っていけて食物を得る、身元を確認するといったことがあったようです。
注目しますのは、南方から台湾、日本列島、ベーリング海地域でも見られ、北米、南米の先住民部族にも見られ、遠隔の地の類似性もあります。
魏志倭人伝(AD3世紀末)の時代になっても倭人は黥面文身して海に潜るヘンな奴たちという扱いでした。
近世でも入墨は残り、生魚や海藻を好んで食すことと共に欧米人に違いを強く意識させています。
今や和食がすっかり素晴らしいものとして世界で受け止められていますが、少し前までは全く考えられない事でした。
人類の起源のアフリカ、裸で過ごせる南方で始まった習俗が北上して拡がり、痛みを伴い入れ墨が今も各地に根強く残っていることは、それが信仰などと結びついた精神性の高いものであったことを窺がわせます。
江戸期の罪人への入れ墨、明治の入墨禁止令の影響は大きいもので、急速に廃れて行きましたが、元来、縄文時代の土偶にも入墨線刻が見られて歴史は古いものです。
4万年前に九州西側の当時の曙海を越えて、家族で列島にやって来て拡がった海の民である日本祖人に想いを馳せる時、おそらくボディペインティング、入れ墨をしていたのではと思います。
さて、DNA分析で日本人は何処から来たのかがよく論じられます。
しかし例えば、アメリカで日系の結婚を重ねた日系5世を考えた場合、DNA分析では日本人となるのでしょうが、言葉も出来ず、和食よりもハンバーガーやステーキの方を好むでしょう。
体と言う容れ物ではなく、遺物として残らない言葉や心や習俗といった脳の働きが重要です。
洞窟絵や土偶などといった物と同様に、消えゆく入墨習俗は重要な心の働きや種族の関係を窺がわせるものとしてもっと研究される必要があるでしょう。
シベリア、アラスカといった着ぶくれする所でも入れ墨の習俗はあるのですから驚きです。
DNA分析と共に、そこに着目すれば、ずっと古い時代に南方の海の民の人々が北上し、日本列島、ベーリング海地域を経て北・南アメリカへ進出して行ったことが、無理なく理解できると思います。
何しろ、どう調べても太平洋を西から東の南米へ万年前に渡って行った痕跡が全く無いからです。
下の写真の遠いブラジル秘境のこの女性は、入れ墨が無ければ全く違和感なく日本で見られますよね。驚きです。
そして入れ墨者をヘンなヤツと思う大陸内部の狩猟族の人々(B)と、沿岸や島々の海の民の人々(A)との特色2区分、史的な違いが注目されます。
閑話休題。
ハロウィンの画像を用いた南方紹介です。
https://www.youtube.com/watch?v=Ok4ieD3oPVY&t=120s
(了)