4万年前頃から始まった我が国の歴史において、日本祖人が37,000年前頃という大昔に、伊豆半島沖の神津島に舟で海を越えて黒耀石を採取に行き来していました。
そして南関東や伊豆などの広域においてそんな古い時代にその黒耀石の交換が行われていた事も世界の学界に驚きをもって迎えられています。
先史人たちの狩りなどの重要な道具の宝であった輝く切れ味鋭い黒耀石は、他に北海道、本州中央、隠岐の島、九州北部などの原産地が良く知られています。
海水面が数十m低かった当時の日本祖代の「海の民」の木・竹・骨・皮などを活用した暮らしは今は海の下ですが、陸に残された黒耀石の石器は、当時の状況を探る大きな要素です。
神津島行きの渡海の時代と広く見つかっている事実から、日本祖人は曙海の畔から海を家族で越えて九州(八重山も?)に来た時には、既に黒耀石の価値を知っており、探して交換をした経験を有していただろうと考えられることが重要です。沈んだSundalandから北上してきましたので。
さて、例えば日本語はいつできたのか? 一昔前にある学者は、母音子音もはっきりしない状況からまあ言語らしくなったのは3,000年前頃だろうと言いました。
私は、日本祖人の作・操舟、渡海、黒耀石採集、交換などとSundaland地域の状況を考えれば、4万年前、九州に来た頃から既に結構な話コミュニケーションが出来ていたものと考えます。
日本語は、ぴったりした発地が分からない孤立語ですが、おら、あんた、好いとるは、英語や中国語のI love you.に比し古いことが分かります。シチュエーションを考えれば、おら、で十分、おら、あんたで十二分でしょう。見つめていますので。
同じような人たちによる以心伝心があった海岸の小社会の大きなものであったことを窺がわせ、いろんな部族が居る内陸狩猟族の慌ただしい暮らしぶりとは違ったのです。結論を早く言えなどと言われない。
ところで黒耀石です。
バンドゥンの小さな展示館にも黒耀石の石器は飾られ、隣町のGarutは大原産地ですが、国際学会の資料には載っていません。その資料から、不思議で当然かもしれませんが、人類世界の文明の源流痕跡が窺がわれます。
環太平洋の豊かな黒耀石分布は、現生人類の進出展開によく合っていて、日本は今や一文明と言われる理由が納得しうる豊かさですし、人類がユーラシアに出た地域やメソポタミア・欧州への進出の源流に符合していることも不思議です。
アメリカ新大陸の状況は、今後の解明ということかもしれませんね。
そして、既に報告した環太平洋の火山帯・人類展開史とも符合しているのです。鋭いガラス状の黒耀石が火山帯で見付かるのは当然ですが、人類史の進出展開と足並みを揃えていることが不思議です。