新たな環太平洋移住(MPOR)の痕跡の発見!

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米国テネシー州Vandervilt大学チームが、南米ペルー沿岸の遺跡で7,800年前頃とされていた約30mのマウンドの内下部に動物の骨と共にイグサ科植物で編まれていた物(15,000年前)を発見したとScience(By Lizzie Wade May. 24, 2017)が報じました。

米大陸への人類の移動については、基本的に、A:漁撈系とB:狩猟系が考えられ、これまでは石器などはっきり痕跡の残るB狩猟系が主に考えられてきました。

しかし、南米などで次々に発見される遺跡は、今回の編み物の発見を含め、知見と操舟の能力を有するA海の民の環太平洋移住(MPOR)を示すものと考えられます。

日本列島にはっきり残る遺跡群から、4~3万年前の1万年間で拡がった日本祖人の日本列島史とその後の北上は、世界先史の中で注目されます。https://youtu.be/BGrhO1ntyYo

Sundaland地域は、既に海の民として多数の遺跡・遺物が発見されています。

このルートの注目点は、

①千島列島を越えていけたであろうか?

②極寒のベーリング地峡南岸を通過して東進南下して行けただろうか?

③そもそも地峡を越えて渡米した時期はいつだったのだろうか?

④狩猟族Bから漁撈族Aに替わって行った部族はないのか?

①、②は、既に検討し当サイトで可能性を報告いたしました。

③についても、北海道太平洋岸が30,000年前であること、最終氷期最寒冷期LGM(2.2~1.9万年前)には既に通過していたと考えれば、2.5万年前頃の最も気温が高かった時期、例えば毎年の春から夏に素早く抜けた部族たちが考えられます。

この毎年の春から夏といいましても、2~3,000年にわたる話ですので結構な数の部族が渡米し南下して行った事になります。

④も考えられます。Bは闘いに強かった人たちだと思いますので、沿岸に乗り出してきただろうと思われますが、やはり海辺の暮らしは独特ですので棲み分けたのであろうと考えています。

現在の太平洋岸の先住民の部族数の多さは、それぞれが習俗と言葉を大切に守り伝えていることを示す一方、結婚は他の部族とという事情があります。

A系とというよりも先ずは、日本列島に入って来る時から多数の小B系が通婚しつつ次々に渡って来たというイメージです。それが渡米後も続いたと言う事でしょう。

そして闘いに強いA系がやがて大陸で支配的になり、通婚も進んだという事ではないだろうかと考えています。更に時代はずっと下ってから、欧州人が黒人も連れて入って来たと言う事でしょう。

(了)

 

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