日本の始まり、日本祖人の時代を考える⑥—日本祖人の北上、そして

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私たち現生人類”新人”の出アフリカ後のアジアへの移動、進出について、既にお伝えしているイメージに合った図がネットに出てきました。当時のパンカル半島Sundalandの意義を押さえていないと思いますが。

私は、この半島地域を「アジアの楽園」と表現しています。当時の遺跡にも見られますが、温暖で動植物に恵まれた広大な地域でしたので、基本的な素質では現代人にあまり遜色無い多くの人々が出入りし混じり合って文化が生まれていた楽園と考えています。

各地に拡がり、豪には数十kmの海を舟か筏で数百人が渡り根付いていますし、地域の洞窟には人手型や動物絵など当時の精神性あるものが残されています。

残念ながら、北東アジア、日本に関してはラフですので東アジア平野、東亜地中海、そして日本国内を2ルートでの北上としました。

日本列島へは、東アジア平野沿岸地域で暮らす海の民が、東亜地中海の北部と南部から舟で入ってきました。

当時の人の骨は本土地域が酸性土壌のこともあり、発見は容易でないですが、石器などが残された遺跡を見ますと、1万年くらいの間にほぼ日本列島の沿岸部(水平拡散)や一部の高原地域(垂直拡散)に拡がっていたようです。

既に、伊豆沖の神津島に黒曜石を求めて舟で渡っていますし、その貴重な黒曜石が広域で交易されており、また、冬の寒さの北海道の大平洋岸に進出していたことなどが注目されます。

容易でない船路を渡って来た海の民の家族の群れが、今よりも海水面が数十m低下していた黒潮沿いや瀬戸内盆地などの海浜・河川沿いに北上し、主に水産物や植物を食べ狩の獲物を加えて、自殺する人もいない案外と結構な暮らしをしていたのではないでしょうか。

日本列島地域の魚介・海藻類の豊かさや雨と多様な地質のもたらす植物の豊かさも特筆すべきでしょう。主に海辺、一部は川辺の暮らしであったでしょう。

その後、2万年前頃、大陸から大型哺乳類を狩猟する寒冷降雪地に適応した人たち(北方適応型)が入って来てますし、今日に至るまで途切れることなく人は入ってきています。

しかし、日本史は後から来た多数の人が前から居た人を排除して入れ替わるというようなことではなかった(攻防はありましたが)と見られていますので、地震津波、火山の噴火もある列島地域のこの頃の万年の海の民の暮らしと精神性は、基層としてわずかですが今でも残っているように感じます。

下図のように、ずっと下った紀元後の古代でも「海部」という名が広域の沿岸地域に、一部の高原にも残っていますし、また、薨去された三笠宮様は、「お舟入り」(我々の納棺)されます。

日本の祭りには、相当古い伝統なのではと感じさせるものもありますし。

そして今、そんな4-3万年、2万数千年前の海の民である日本祖人が注目されるには実は訳があります。

近年、アメリカ人は、自分たちの住む大陸に最初に人が来たのはいつ頃、どうやってということに大きな関心をやっと持つに至り、精力的に研究が進んでおり、新たな発見が出てきています。

その一つは、下図のように海水面が低かった万年の大昔にマンモスなどを追ってシベリアとカナダの間のベーリング地峡を越えて新大陸アラスカに入り込み、従来は米大陸氷床の空き間の回廊ルートから南下してきたと見られてきました。

ところが最近の研究により、1500kmになろうかという回廊ルートは、動ける夏・秋の間でそういう状況になったのは暖かくなった12600年前頃以降であり、回廊にはそれ以前の古い痕跡も全く発見されていないという状況です。

従って、既に北米で発見されている14000年前頃の遺跡状況を説明できず、その後の海水面上昇で痕跡は海中だが太平洋岸ルートだろうとなってきました。

現生人類が世界に拡がったグレートジャーニーにおいて、北米、南米で14000年前級の遺跡が発見されてますが、下図のベリンギア地峡ルートでないとなりますと太平洋岸ルートをよく見なければということになります。

すると、ベリンギア地峡南側のルートA、アリューシャン列島沿いB、そして海流に乗る北大平洋ルートC が一応考えられますが、この新大陸行き問題を日本の先生は誰もまともに相手していませんので仮説も無い状況です。

更に昨年、ハーヴァード医科大のチームが、アマゾン3部族のDNAを調べたところ、大変古いとみられるとともに、南米はもとより北米のネイティブインディアンにもシベリアにも近いものが見つからず、パンカル地域の豪アボリジニやアンダマン諸島の人のものが近いという驚きの結果を発表しました。

チームは、途中に居た人たちは既に痕跡も無く消えている種族であり、そもそもそんな古い時代にどうやって南米・アマゾンに来たのか何とも言えないとし、冗談に太平洋でも渡って植民したんだろうと言って笑うしかない状況です。

人類が大平洋ポリネシアのイースター島やハワイにたどり着いたのはゼロが2つも違うかという新しさですので頭を抱えます。

ともかく、当時の人たちの痕跡が残っていたとしても数十mの海面下ですのでどうしようもありません。しかし、出発点と終着点は明らかになっていると考えられる正に、日本の歴史学にはない「理論先史学」の分野です。

出アフリカの現生人類が、パンカル地域から寒冷降雪地適応のDNA変化を生ずることなく南方の海の民の子孫として南米に至るのは、日本列島経由でしょう。

日本祖人は、ベリンギア地峡南方・北太平洋沿いを米新大陸に渡り南米にまで沿岸を南下したという、日本の歴史考古学の先生方が誰も相手にしないことに思い至ることになります。

次回、更に深掘りに挑戦します。

(了)

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