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A. 万年の人類史における新たな発見(人の歯)から、長かったその時代は正にアジアが世界の中心だったことを認識する必要があります。
B. 日本では、南方の島での地道な調査から、当時は住めなかっただろうと思われていた所でも人が住んでいたという新たな研究発表がありました。
人類史における海辺の道、海の民という側面をしっかり認識する必要があります。
(柳田國男Kunio Yanagida 海上の道から)
1.世界人類史におけるアジア
前回、少なくともアジアの人々の祖先Nenek moyangが、8万年以上前にアフリカを出てアジアの楽園Sundalandを通過し、北上して行ったことを示す人歯発見Gigi ditemukanのニュースをお伝えしました。
(1)寒さと乾燥
8万年、5万年(画期的な人類進化)、4万年、3万年も前という、現生人類の各地への展開の歩みTersebarは、基本的にはユーラシア大陸北側が寒く北アフリカ・中東は乾燥した氷期の時代(比較的暖かい時期10%含む)のことでした。
その氷期時代の最終氷期LGMである2.1万年前頃のイメージは下図のようなものです。
欧州や教科書で教わった文明の地域は、厳しい寒さあるいは乾燥の状況にありました。
寒かった北緯40-50度地域の人たちは、滅びるか南下して生き延びたことでしょう。(LGM期までには、現生人類以外の近縁人は皆、滅びています。人体への影響のほか、食糧獲得が問題です)
(Stephen Oppenheimer資料から作成)
(2)北方人類の南下移動Bangsa utara dingin menurun ke arah selatan
寒い、乾燥している時期には、人や類人猿の南下移動があったとみられることはDNAから分かります。
豪州先住民アボリジニAboriginには、ユーラシア北側地域にいた現生人類ではない近縁のデニソワ人(シベリア・欧州)ネアンデルタール人(欧州・中央アジア)のDNA痕跡が、7-8%残っています。
アジアの楽園Sundalandで交雑し、豪州へ渡った人がいると考えられています。
また、短い比較的温暖な時代には北へ向かった人々もいたことでしょう。何回かこのような南北の移動が行われたものと思います。
いずれにしましても、当時数万年にわたり続いた現生人類の世界の中心地域は、暖かく植物が茂り多くの動物がいるアジアであり、人々が集まり混じり文化pradaban kunoが生まれたものと考えます。
2.人類史における海辺の道、展開した海の民
前回、出アフリカの現生新人類は、他の猛獣やサル・類人猿と決定的に異なり、水を厭わず水産物をも食する点を指摘しました。
この新人は、熱帯雨林そのもので暮らすのはなかなか大変ですが、広大な暖かい海浜・河岸、森林・灌木地などの地域は、楽園(比較の問題ですが)でしたでしょう。
日本のそんな暖かい南方の奄美・沖縄の状況について、鹿児島大国際島嶼(とうしょ)教育研究センターによる新たな発表がありました。
アジアの楽園Sundalandからの北上ルート上で、先史時代には人は住めなかっただろうとこれまで考えられていた日本南方の島々pulau-pulau selatan でも、(幸せに)人々が住んでいたada manusia prasejarahという研究調査結果です。
(2015/10/29付 西日本新聞朝刊から)
次回、このことを考えてみます。