アジアの楽園Sundalandの雄インドネシアは、今、赤白国旗が至る所に飾られ17日の独立記念を迎えようとしています。
おめでたい赤白は、国旗を見ると日本、マレーシア、タイはもとより、フィリッピン、台湾、そして要素が似てると言えばカンボジア、ラオス、ミャンマー、東ティモール、ネパール、更に韓国、北朝鮮も似た系統と言えるでしょう。
私には、現生人類の展開の北上ルートに沿った興味深い類似性です。中国、ベトナム、バングラデシュが、仮に主義や宗教を除いたとしたらどういうものになるか大変興味深いです。
さて、我が地区では橋にまで彩色していますし、沢を越えた自然公園などではペンキを塗ったり、階段を補修したり準備に余念がないです。
独立については、小学校から大学まで内容の深みに差はあれ、教わる国の原点の重要事項です。
何と言っても独立の闘士スカルノ(初代大統領)・ハッタ(副大統領)による70年前の独立宣言は、手書きの一部修正の跡も残るリアルなものが、スカルノによって読み上げられたドラマチックなものです。
(SEJARAH untuk SMA Kelas Ⅹから)
05と見える年号は、皇紀2605年というものです。西暦ではなく、植民地イメージを避けたとも言われています。
そして、宣言後も復活を目論み戻ってきたオランダに対して武器をとって抵抗し、血を流して4年5ケ月後に勝ち取ったものです。
植民地化から約350年の長い抑圧の時代から解放したドラマです。
この戦いに加わった元日本兵の約千名が戦・病死したと言われており、帰化してインドネシア人となった人たちは、今はジャカルタの英雄墓地に眠っています。
しかし、独立の闘士や青年層を前にして行われたそのドラマチックな独立宣言が何故、直前の深夜長時間、ジャカルタにあった大日本帝国海軍武官府の前田少将の所で打ち合わせがなされたのかという面でのそこに至る日本の貢献はあまり知られていません。
そして日本の敗戦を正規に確認し、宣言文書を作成して読み上げるに至るまでに2日を要したドラマもあります。
まして、港区の青松寺に特に2名の元日本軍人ため、肩書きの無いスカルノ名で記念碑が建てられていることは、此処では殆ど知られていないでしょう。
また、碑にはこれも肩書きの無い氏名のみの2人へとして、独立は一民族のものならず全人類のものなり。というちょっと不思議な文言が刻まれています。
正にこれこそ、その後続々と植民地から解放されたアジア・アフリカ諸国が参加したバンドゥン会議をやり遂げた後に碑を建立した、スカルノ大統領ならではのものです。
前田少将ほか数名がインドネシアの叙勲を受けていますが、特に貢献し亡くなられた元日本軍人2人に対する最高の歴史評価と謝辞と言えるでしょう。
あなた方の貢献は、一インドネシアのためだけじゃなかったんですよと。
さて、最初に述べた近くの自然公園には、かなりの内部構造を有する日本軍の洞窟もあります。
この地域は今は、人々のリクリエーションの場となっており、ブランコなどの遊戯施設、自然博物館や売店も多い西ジャワ州森林局の管理です。
清掃された洞窟も普通に(懐中電灯を借りて)見学されています。
そして本日、日本時間正午頃、気さくに応じてくれたここの様子を撮りましたので報告といたします(肖像権不明のため小さいですが)。数百m離れたオランダ軍の洞窟も同様でしたでしょう。
当時は少年も作業に参加させられ苦労していますが、今の子供たちには、上に見えるJepangは、好感ブランドとしての受け止めなのかもしれません。時は経ちました。