号外建国 誤解で知られざる北先史―南方系の痕跡

カテゴリー: 最新情報,祖代(Sodai)・祖人(Sojin),遺跡

➀世界の驚きです。約4万年前、南方系家族が、筏で、約35kmを、対馬に、良好な処女地を求めて渡海、という日本史の始まりを推定できるのですから。(このレベルは、まあ他に無いでしょう)

太平洋側、日本海側(当時は大雪降らず)からの北上が、東西合一した青森・陸奥平野(当時浮上)から「昆布ハイウェイ」を、襟裳を越えた道東祖人は北上継続の渡米も?

②縄文時代の北は近年のDNA研究等も交え、礼文島、稚内(札幌医科大 山口 敏)・名寄、北千島などが「坪井コロボックル」で類縁であることが分かって来て、北の大陸・オホーツク人南下説は巷間の誤解であり、日本列島北上の南方系が主体の歴史だったのです。マンモス・ハンターは来なかったし、考古学界の大陸・細石刃狩猟族(2.5-2万年前)の北海道への南下も北海道祖人が技法を採用したのであって、喧伝されているほどの人の流入はなかったのかもしれません(今後の研究)。北の痕跡は、そもそもの東のユーラシア・アジア人の新旧の二重構造説とも合致しています。

③日本史の92%、長かった祖代・縄文時代の基盤の上に建国され、近年、「大阪おいたち」の河内潟の当時の状況と神武東征の臨場的な行動の記述(日本書紀は全く違う地形の時代に、言い伝え通りに記述)が符合する実証研究に注目 です。

教室は神話の導入を、研究最前線の紹介を―日本祖代研究会(RGaPJ)

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