「最初のアメリカ人」を巡っては定説が崩れ、新たな認識が求められていることから各国史にも種々の影響が生じています。「日本人はどこから?」ではなく、今や「日本人は南から来て、何処まで行ったのか?」と問う時代(プーチンはいないのに、北海道で留まる理由はアリマセン)なのです。
1.左図 最新の研究でこれまでの認識は全くの表層を語っていたようです。DNA分析、言語研究、考古遺跡発掘などから世界現生人類史の下の層は違う景色であり、まだまだ解明の途中です。特に、DNA分析における中央アジアの影響は大きく、新しい3,700年前頃の同地域の種族が東進、西進し時間差をもって北米で再開したという新認識は重要で、シッティングブル大酋長とカスター将軍が同祖系とは驚きですが、納得できます。欧州人コロンブスが来る前に、アジア・シベリアから何波もの渡来と混合があり解明を難しくしている事情が理解されます。①最初はアラスカ沿岸から西海岸を南下しつつ内陸へ拡がったとみられ、その後、②氷河期後に内陸の「無氷回廊」が開かれて狩猟族が大量に渡来したのが原型でしょう。そして欧州からの大きな渡来が南北アメリカに続き現在に影響を及ぼしています。しかし、東部のユーラシア・アジアからの先住者の培った文化や影響を及ぼした生物環境などは、その後に十分意味を持っています。また言語研究からも最初のアメリカ人候補としてA、Xが考えられ、沿岸移住説の高まりの中、日本・道東祖人(青森発)は候補であることを認識すべきなのです。
2.右図 このような人類史の状況を踏まえれば、南方から北上して北部九州に至り、列島に形成された約2.5万年間に及ぶ祖代Sodaiの基層は意義深く、世界考古学的に特筆される「金メダル」は5つに及んでおり、2代目の縄文文明は一日では成らずなのです。白滝石器群が国宝に指定され喜ばしい事ですが、特に、最初のアメリカ人が新大陸西海岸を南米南端にまで及んだことを考えれば、若葉の森遺跡や近年豊富な黒耀石器が発掘されて話題になった帯広など北海道ゲートウェイの道東祖人及び東西から北上し合一した祖人によって重要な基盤となった青森・陸奥平野における暮らしの解明は、日本史のみならず世界人類史の観点でも注目されます。それらに繋がるとみられる仙台及び北陸の暮らしの解明も期待されます。巷間には未だ3方向(北、西、南)からの渡来図を示し、日本から出て行かないという誤解を招く説明が散見されており、是正すべきです。
教室はこの始まり時代を解明の途中とした上で紹介すべきであり、でなければ旧態のまま周回遅れです。―日本祖代研究会(RGaPJ)