現在の認識は、コロボックルとは日本史始まりの祖人・縄文人のことでしたし、アイヌは13世紀から。また、人類史のアメリカ新大陸初期移住問題の世界の学界認識は、シベリアのマンモスハンター・クローヴィス石器人のベーリング地峡からの進入説Aが揺らぎ、西海岸・舟進入説Bが浮上です。
図左下、米の高校教師参考の一教材動画ですが、最新発見のニューメキシコの「足跡」から、ルートC、Dを含めて一応巷間の諸説を網羅して基礎的な特色・実証面の問題点を紹介し、学生が考え・調べるための素材にもなっています。上図の日本ルートですが、舟が2万年前と紹介されているのは、発見最古の千葉・市川の縄文舟7,500年前と伊豆~神津島の黒耀石採取の生業航海38,000年前の中を採ったのでしょうか? 沿岸が離れる千島列島については、stepping stone として渡って行った感じを出しています。世界の議論がこういう状況となれば、明治文明開化の先達の諸議論に光が当たりますが、東京帝大の坪井教授による①日本の始まりを科学的に探求する、②学術用語コロボックルを導入して処罰の恐れなしに自由に研究議論する、③衝撃のダーウィン進化論を受け止め、貝塚遺跡人はアイヌ以前のより古い別種人というモース教授の実証考古学成果の理解、➃自らの北海道遺跡の実視とアイヌ聴き取りによる両面からの現地調査内容の判断 により開花期に科学的な真実追求の学問確立を目指したことが注目されます。諸外国の文献等の研究も踏まえた事でしょう、アメリカ北部まで視野(鳥居龍蔵の回想、大正8年帝大紀要)に入っていたことは驚くばかりで、他を抑圧することも無く小金井教授等の多数派に抗し奮闘されていたのは尊敬します。北海道新聞の記事、「鳥居龍蔵が恩師である坪井正五郎のコロボックル説を否定した」は、大正6年になって(北千島調査の18年後)師の説に関し学会講演で北千島コロボックルであるとはっきり求め人類学誌に記述されている北海道史の基本的な重要事項と異なる誤解報です。
これ等の事が教室で紹介され、内外の誤解が速やかに正され、研究者の発言が撤回・謝罪を求められることも無く自由が保障されますよう、日本祖代研究会(RGaPJ)は強く求めます。