出アフリカ~アメリカの人類・日本史最前線、最新説から考えよう!

カテゴリー: 最新情報,祖代(Sodai)・祖人(Sojin)

巷間本に左上小図、南米に至るまで移住ルートの矢印が示され、日本列島ルートも候補と言えるもので祖代研究会(RoPJ)と同様の説となっており、支持できる内容です。

ベリンジアへのルートも崩れたこれまでの定説Bの「シベリア方向」とせず空けてあり学術的で、DNA分析から時期はベリンジアに2.4万年前頃、進入規模は5千人という数字が、米ニューメキシコ足跡発見衝撃の時代に大変有意義な尺度を与えます。進入後の南下も「無氷回廊」説と「沿岸南下」説の後者を示唆と指摘し納得できるものです。そこで拡大図で祖代研究会(RoPJ)が細部コメントすれば、第1にルートは大区分でAとBであり、A-1、A-2、B、混合を含めて4説の黒枠コメント内容となり、ここで言語学的にはA-1、A-2と説を唱えられた松本博士の慧眼は、当時B説主流であった世に埋もれていましたが光が当たっています。留意すべきこととして、アフリカを出たのは黒人であり、東進後の時間経過と新環境適応で「インマレイドInmalaid」(仮称)に変化したと考えられます。そして緯度を北上により亜熱帯を越えたことは大きな状況変化と適応と認識すべきで、未だモンゴロイド化(2.5-1万年前、米ハーヴァード大Dr. Howells)はしていなかった時代の変化(DNA分析でも分岐が多く発生)した「北インマレイド」のA-1、A-2であったという事です。なお問題は、図中の赤枠「縄文人は最初の東アジア集団の子孫」説明は大げさな奇異です。2代目ですから先代・初代の祖人Sojinの子供であり、何処から来たのでもない日本列島で生まれたものです。

そこで教科書の後期旧石器時代の「後期旧石器人」とでもすれば、世界語であって国によって時代が異なり、縄文・平安・江戸などと合わない違和感となる不適切です。また、日本史の始まりが「大陸・半島から来た」は誤解で、「曙海の畔・北東亜平野東岸」から「家族が渡海」した事実は近隣食の成り立ちと異なりその後に影響ある大変重要なことです。右図、内外でこれまで説明の無いA-1北海道ルートについては、当時の青森・陸奥平野の賑わいを基盤に、3.5万年前後には北海道に適応しました。道東ゲートウェイから北上、白滝遺跡の黒耀石は国宝指定答申、礼文島縄文人と犬は南方系の痕跡、最大約75kmの海を越えて行った北千島は少なくとも6千年前からの痕跡で十勝石(黒耀石)の利用や有柄・有茎石器が見られ、そこの「余程古い、コロボックルである」(東京帝大 坪井正五郎、鳥居龍蔵)遊動海民の自称であった「留頓・ルートン・Routon」(仮称)は、カムチャッカ半島南南部にまで進出していて、むしろ向こうが主体であったことが明らかになっています。更に北に進出していてベリンジアは指呼の間、新来のシベリア勢力に押されて後退して来たとも考えられる重要な参考痕跡です。

実は日本の教室が、1万件超の遺跡に支えられて太古にしてはよく分かっている祖代の内容を採り挙げず、世界の人類史論議に周回遅れなのは、説明と議論ができる用語が無い事(祖代Sodai、祖人Sojin、曙海、北東亜平野、留頓、最初のアメリカ人など)が大きな原因で、それを「よく分かっていないから」と逃げていると言える惨状です。他方、Ainuが彼らの伝承で美しいと入れ墨を真似た北千島の留頓コロボックルとは違う対象外の13世紀からのことであるのに内外において登場してしまっている誤解は改善すべき問題なのです。教室で説明と議論を、世界に発信を。 

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