20万年前頃アフリカで誕生し海産物も食す現生人類の部族は、海水面の低下(約130m)した紅海及びホルムズ海峡を越え、8-6万年前頃、インド亜大陸西部地域に達したとみられています。
東方へは、海水面の低下により出現した広大な海岸地域を移動し、7-5万年前頃にスンダランド、4万年前頃には海を越えてオーストラリアに達し、また、北方の沿海州にまで進出しています。
東方への進出は、西の欧州よりも速度が速かったようです。
東ジャワの現生人類ワジャック人は、4万から1万1千年前頃の間、また、マレーシアのサラワクのニア人も4万年前頃とみられています。
ワジャックとは、山、盆地のある場所の名称で、あのジャワ原人のいたソロ、サンギランの南東に当たり、ワジャック人は最初、山の斜面で発見されました。その後も他の場所で新しいものが洞窟などで発見されています。
この時代の現生人類は、熱帯地域の保存がきわめて難しい状況の中、タイ西部からパプアに至る広域で発見されています。従って、スンダランド全域に存在していたと考えられます。
ワジャック人について言えば、彼らは混血で中国人やオーストラリアのアボリジニの特質も示しています。長期間存在し、日本にもその形質の影響が及んでいます。
Paul Stormは、ワジャック人の頭骨はがっしりした中石器時代のもので、その後の世界的な人類の小型化に合わせつつ、現在のジャワに住む人たちに繋がる祖先と考えています。
重要なことは、ワジャック人が4万年前頃現れているので、人類の展開のかなり早い段階から北方の人種と南の人種がスンダランドで混合していたということです。
それはまた、スンダランドへ南下した人の波がおそらく1度や2度のものでなく、人の数も相当の数であったことが、混血の影響から窺われます。
特に、2万年前頃の最終氷期最寒冷期や1万3千年前頃のヤンガー・ドリアス寒期の北方の寒冷の影響は大きかったでしょう。
彼らは、暖かく食糧豊富なアジアの楽園スンダランドに来ざるを得なかったでしょう。そして、北方が暖かくなれば、また、北上した者も多かったでしょう。
この北と南の全く生活様式の異なる人々の南での融合は、生活技術の融合をもたらし、人種の坩堝スンダランドでの文化を発展させていったことでしょう。
私は、ワジャック人が3万年にわたり長期存在したことや日本にまで影響が及び、また、現在に繋がっていることなどから、楽園で大きな存在だったろうと考えています。
但し、スンダランドの人々の「サラダボール」の具体的なイメージは、将来更に実証成果を得て形作られることになります。
これらのことから、メソポタミアに始まる人類文明史の前の段階におけるスンダランドの重要性に着目すべきと考えています。