3世紀に内陸盆地出身で図の「曙海」のほとり地域はよく知らない①陳寿(233-297年)が、魏略というタネ本、呉は敵、東西南北の周辺国は野蛮格下、海民のヘンな習俗紹介などを基礎に、得られた諸資料から広大な周辺地域の意義づけ扱いバランスも考えて魏国史を描いた、断片的な事実を含む創「象」で、歴史書というより神話的と称すべきもの。
従って、邪馬台国・卑弥呼などそれらしい似た存在はあり得ても、北部九州と畿内(それ以外にも無数)に所在説が分かれ、依然として実証できないことで分かるように見つかりません。現在の教科書の採り挙げ方は史実かの如く誤解させるもので、日本書紀・古事記の扱いに比し不当です。但し、図右下の約4万年前頃の列島史の始まり「祖代」の状況である現生人類の出アフリカ後の東進北上による移住史を下敷きにすれば、魏志倭人伝の時代でもキーワード「曙海のほとり」の暮らしの痕跡や諸国の関係性が感じられることが重要です。そもそも沿岸の呉(越)と内陸の魏との南船北馬と評される違いと対立、狗邪韓国の倭性、②五島地域人と隼人が付近の人々とは違っているのに「類縁性」がある事、③侏儒国は北海道のコロボックル同様に原初的な民と考えられる表現であり、邪馬台国・卑弥呼、黒歯国などは根も葉もないものではありませんし、台湾山地沿岸人と倭人の最近のDNA類縁性の分析と符合しています。実は新しがりのインド太平洋構想などもその線上の温故知新です。子供に教え、世界に発信を。更なる研究予算の投入を。