②最初のアメリカ人に関し北海道発という仮説が出ている時代に、現日本学界は、明治人の鳥居龍蔵の研究(南シナからシベリア、アリューシャンを視野)を越えていないだけでなく、子供に教えず世界に有益な発信していません。
明治32年に北千島を現地研究した鳥居は研究を続け、図左下よほど古い石器時代的な「第1アイヌ」(アイヌと称するべきではないですが)、北(樺太)から入って来てコロボックルに入れ墨を学んだ新しい「第2アイヌ」と区分して命名し、南方発の入れ墨の違いとカムチャッカにも出て行っていることにも注目しています。その先の北、図上チュクチでは、これも古い先住の海岸チュクチの石器時代的な暮らしの痕跡と入れ墨に着目し、名称は同じでも蒙古族的な内陸民との違いをしっかり説明しています。また、図下遠く離れたアレウト族についてもその石器時代的な暮らしと入れ墨の他、ロシア教会員によるエスキモー・イヌイットの支派観、カムチャッカ・千島・日本人との類似性の話は、坪井博士存命ならコロボックルに比定されるものと紹介(同意・否を示さず)しています。
アレウト族は遺跡からはアラスカの方から西進したものと思われます。図の333kmは、祖人の時代に家族ではとっても越えられなかったでしょう。なお、前回報告の春日部陸軍通訳官は、混血でない原民アレウトを日本人に酷似と報告を記述しています。鳥居龍蔵にとって、アフリカから全ての現生人類が発し、日本へは約4万年前頃に北部九州に渡海して来て北海道に北上し、その後に縄文時代になった内容などを聞けば腰を抜かす時代に、今に役立つ有益な研究成果を残していますが、戦後の日本学界の方は、人類史の課題である「最初のアメリカ人」に関する論説が、全く見られない周回遅れの状況です。鳥居研究の存在を子供に教え世界に発信し、第2アイヌ子孫に使われている膨大な予算を、国際共同研究に振り向けましょう。