ボロブドゥールも現場へ行ってこそ感ずるということがありました。
場所は、独立時代に臨時首都になったジャワ伝統のジョグジャカルタ特別州(中ジャワ)から北西へ少し外れた所です。バスで向かう途中にムラピ活火山が煙をはいていますが、わずかな間だけ右側に宝来山を控えた富士山そっくりに見え驚かされます。
寺院は、きれいに整備された公園地域の奥にあります。
「Can you speak English?」ジルバブ被った女子の珍しい質問です。
聞けば、先生からともかく英語を話す人に同行してレポートを出すように言われているノート片手の女子中学生さんで、一緒に回りました。(孫たちよ、頑張れ!)
504体の仏像を有するボロ(寺)ブドゥール(丘の上)は、煩悩から解脱に至る3界を象徴的に表し、第1の基壇は煩悩の俗界、次いで未だ形にとらわれている5層のピラミッド、最後に解脱した3層の同心円壇ということだそうです。
上空から見た曼荼羅模様と、その多様な造形、数々のレリーフは、素晴らしいの一語です。
さて、ボロブドゥールは我がギョウ界ではピラミッドです(下図左下)。
(www.IndoCropCircles.wordpress.comから)
グヌン・パダンなどと同様に雨や地震にも強い棚田式で、もとからあった小山に多い所で8mの土を盛った(Dunny Hilman博士より)上にあの見事な仏像、レリーフ等を作ったものです。
密林の中に約1000年眠っていた寺院を今のように修復された長い間の努力には、全く頭が下がります。
雨、地震に加え火山灰の降る地でもあります。凄いと感じたのは、中の小山の土の崩れから抜本的に修復されたということで、現在使われていない石も裏に保存されています。
ボロブドゥールは、小山に土を盛った基盤のあんこと仏像レリーフの表層の厚い1枚皮の言わば大福もち構造です。グヌン・パダンの場合は、その皮が時代を異にして少なくとも3枚重なってますので、修復も解明も容易ではないです。無論、大福もちの大きさも違いますし。
(koridortimur.comから)
注目点は、いくつもありますが、お釈迦様にどう結び付くのかという船のレリーフ(10枚)があるのをPhilip Bealeが見つけました。
香辛料シナモンの貿易でシナからアフリカまで活躍した甲板に小屋のあるその帆船を復活させ博物館にしています。アジアの楽園、万年前から世界の中心・中継の海の民のここの人らしいところです。
ここに来て感じましたのは、万年の昔からグヌン・パダンの人々がゲデ山に対するように、此処の人々はムラピ山に対してきたことです。
マラッカ海峡もスンダ海峡も陸地だった正にアジア楽園時代は、共にインド洋に面する世界に開けた賑わいのマチの奥ノ院にあります。
そして、古来の精神性の代表である「山岳信仰」は違う、正しくは荒ぶる天、神に祈る「活火山信仰」だと感じました。
それは、厳しい火山被害罰と水の恵みの両方を有する祈りの対象です。大昔の人は、休火山も死火山も分からず、やがて区別なく山岳が祈りの対象に成っていったのでしょう。
最後に、アジアの楽園の人たちは聖地の上に時代を異にして築造します。聖地の言い伝えだけは語り継がれるからでしょう。
パンフレットには、ボロブドゥールの内部には何もないと書かれていますが、その立地、周囲の状況から基盤となった小山は聖地だった可能性があり、何かがまだ内部の奥に眠っているのではと思いながら帰りました。